映画『PERFECT DAYS』を見たよ~言語化しないスタイル

映画『PERFECT DAYS』を妻と見てきた。
翌日から帰省したので、落ち着いて振り返る時間が無かった。
帰省や旅行といった非日常は、主人公である平山=役所広司の世界には無かった。

ルーティン化された生活

平山の日々はルーティン化されている。
映画で何度か繰り返される。
しかし、見ていて飽きないのは、見せ方を少しずつ変化させているからだろう。
カメラの位置とか。
このようなルーティンへの憧れがある。

言語化しない平山

平山は本を読む。
古本屋で文庫本を買って、寝る前にそれを読む。
スナックのママ=石川さゆりが言っていたように平山はインテリのようにも思える。
しかし、平山は決して書かない。
日記のようなものを書いているルーティンは無かった。
記録=ログとしてやっているのは、仕事中の昼休みに主に撮影するフィルムカメラから現像された写真のみである。
孤独を生きることを選択した平山にとって、日記のような書き言葉=エクリチュールには気をつけた方がいい。
自分の内面をつい書いてしまうから、人は病んでいく。

天使としての平山

監督は『ベルリン・天使の詩』のヴィム・ヴェンダースである。
よく空を見上げる平山は、天使を見つけようとしているように思える。
たとえばホームレス=田中泯は天使かもしれない。
ホームレスは、平山以外の人間からは見えていないようにも見えた。
ベルリン・天使の詩』は、天使が人間になる物語だったが、平山は人間から天使になりたいと思っているようだった。
天使のように認識に徹する平山は、自分を汚い存在のように扱う母親を見ても怒ったりしない。

他人の心に踏み込まない人々

駅地下の飲み屋の大将は、平山の無口な性格を理解して動いていた。
アンチ巨人のうざい客をうまくあしらったり。
古本屋の主人も、カメラ屋の店主も、決して平山の心に土足で踏み込んだりしない。
カメラ屋は、翻訳家の柴田元幸だそうである。
平山も、他人の心にふみこまない。
だから、物語が動き出さない。
ニコがなぜ家出してきたのか、聞かない。
パティ・スミスを気に入った女性がなぜ涙したのか、聞かない。
スナックのママの元夫は勝手に話したので聞いたが、それには何もいわず、影踏みをやろうと言う。
ただ、この時は平山はいつもより饒舌だった気がする。
物語ストーリーを動かすのは、おせっかいなヒーローたちだ。
主人公が内向的でも、美人のヒロインが物語の中心へ引っ張り出してくれる。
そういった物語の力学を回避して平山は生きている。
この姿勢では、いわゆるサラリーマンの、特にホワイトカラーの企画的な仕事はできない。
電通マンにはなれない。

永遠の思春期

スナックのママと元夫を見て、平山は動揺する。
動揺して、長く吸っていなかった煙草を買ってしまう。
しかも、ピース。
それを川縁で吸って、むせてしまう。
丸で思春期ではないか。
永遠の思春期おっさん。
何歳になっても、生活をルーティン化しても、悟ることはできない。
花様年華』の後日、『2046』のトニー・レオンもしかり。
ちなみに『2046』のトニー・レオンは書く男だったが、平山は決して書かない。
いや、平山にも「中年の危機」はあっただろう。

ハードボイルド

平山の受け身は、一種のハードボイルドだ。
決して自分からは動かない。
エピソードは3件かな。
いずれも別の世界から、平山の世界に飛び込んでくる。
それに揺れ動きながら、いわゆる普通の映画になるような変化が平山に起きるわけではない。
何があっても、平山はルーティンを変えないだろう。
確執があったことをうかがわせる父親にも会いにいなかいだろう。

企業案件

なぜかデザイン化された公衆トイレしか描かれない。
汚物も出てこない。
それは、ユニクロ電通関係者が仕掛けた企業案件だからだ。
そういう解説を見て、深く納得した。
だからって、映画を嫌いになるわけではない。
物語は動かさないが、映画の外では仕掛けがほどこされている。
策略によって大人の世界は動いている。
それが観客によっては透けて見えて鼻につく。
見えなかった観客はハッピーである。
映画の中にとどまれたわけだ。

とりあえず

とりあえず、ここら辺で投稿しておこう。
後で追記すればいい。
年末、大晦日だからって2023年を振り返ったりはしない。
それが自分のスタイル。
いつもの日曜日のように安部礼司聴きながら、こうやってブログを更新する。

環世界(追記2024年1月2日)

正月にたまたま読んでいた丹生谷貴志天皇と倒錯』にユクスキュル「環世界」についての記述があった。

ヤーコブ・フォン・ユクスキュルは、世界はいわばそれぞれに交錯しつつ自足した諸生物、諸事物の泡の様な環境世界 Umwelt の無限の併置、連鎖としてある、と述べている。(p98)

ここの「環境世界」は「環世界」のこと。
この記述は、平山の台詞と接続した。

この世界は本当はたくさんの世界がある。つながっているように見えても、つながっていない世界がある。

交錯するがつながってはいない平山と他の人々。
諸エピソードが泡の様に描かれる映画。
ちなみに「接続」というのは、自分のキーワードである。
平山の他人との接続するスタイルは、自分にとって好ましいスタイルだった。
そういう平山のスタイルは、映画が企業案件かどうかとか、トイレがきれいすぎてリアリズムに欠けているとか、そういった解釈とは一切関係が無い。

ネタバレは予告編で(追記2024年1月2日)

『PERFECT DAYS』にはネタバレが無い。
というか、予告編でほとんどネタバレしている。
予告編以上のエピソードは起こらない。

追記2024年1月6日_中年の危機を乗り越えた平山

上記本文に追記した。
12月28日に見てから、色々と断続的に考えているので、色々と接続する。
接続したら書いておく。
平山と違って、自分は書く男である。
平山は書かない。
書かないことで「中年の危機」をやり過ごしたのかもしれない。
平山に中年の危機はあっただろうか。
その時は旅に出たり、ドライブ・マイ・カーしたりしただろうか。
あまりそうは思えず、同じようなルーティンをやっていた気がする。

平山の謎_膨大な時間の過ごし方(追記2024年1月7日)

また追記。
平山の謎は、膨大な時間の過ごし方である。
テレビもスマホも無い自宅。
インターネット環境は無いようだ。
平日、仕事が終わって銭湯に行って一杯飲んで帰宅して本を読んで寝るだけでも、おそくら数時間の余裕がある。
休日はまとめてコインランドリーで洗濯、部屋の掃除、写真の現像、行きつけのスナック(飲み屋?)に行っても、膨大な時間があるだろう。
その時間を平山はどのように過ごしているのだろうか。
時間に耐えられず、人はアル中になったり、YouTube動画で時間を潰したり、電通で無くてもいいイベントを企画したり、そのイベントに参加して楽しい気分になったりするのである。
平山はその時間をどういなしているのだろうか、気になった。
平山の平日と休日のタイムスケジュールまで細かく設定してあるだろうか?
あるいは役者さんが独自に細かい肉付けで設定しているかもしれない。
役所広司さんに今度会ったら聞いてみよう。
自分は、中途覚醒で不眠に陥ると今だとスプラトゥーン3をやる。
そして、このようなブログ更新。
いずれにせよ、インターネットが必須。
アナログの思考は、窓の外の暗闇を凝視していた吉田健一のように、強度の高い教養が無いとダークサイドに陥る危険性がある。
気をつけよう。
凡人はインターネットで暇潰しするくらいでちょうどいいのかもしれない。
平山は凡人ではない。
その謎が気になっている。