NISAからつみたてNISAへ移行した人の新型コロナウイルスショックによる問題

新型コロナウイルスショックの影響で、今年2020年が5年目の2016年分のNISAがマイナスになりそうだ。
2018年からつみたてNISAに切り替えているので、2016年がマイナスになったら、ロールオーバーできず、特定口座へ移行し、下落した価格が取得価額になってしまう。
すると、マイナスがゼロに戻っても、その戻った分が利益とみなされ、課税されてしまう。
理不尽な気がする。
新型コロナウイルス対応で金融庁財務省はちゃんと考えてもらいたいところだ。
今年2020年の年末に向けて注視したい。
しかし、これは自分ではコントロールできないことなので心配しすぎても仕方ない。
バンガードや水瀬ケンイチさんの言葉に学びながら、山のように動かず、淡々とつみたてNISAを続けるだけだ。

思い出せなくていい~リメンバー・ミー

映画『リメンバー・ミー』は記憶を重視しすぎではないか。
子どもが見ているのを横目でちらっと見た感想だ。
だから、見る気がしない。
そもそも、人はその人を覚えている人がすべて死んだ時に二度目の死を迎える、ということはよく言われるが、この記憶されて語られることに重きを置く世界観には戦っていきたい、というのが今の志向だ。
そして、以下は『リメンバー・ミー』チラ見より先に書いていた下書きだ。

山鳥重『「気づく」とはどういうことか』を読んでいて、たとえ思い出せなくても忘れてはいない、という記述にハッとした。
以下は、著者の意図とは違った誤読かもしれない自分の考えである。
思い出せなくても忘れてはいない、ということは、思い出せなくても経験したことの価値がなくなるわけじゃない、ということだ。
そう思うと、忘れることを恐れて記憶や記録(写真や動画)にこだわる必要が無くなる。
これは開放感がある。
ただ、経験すればいいのだ。
たとえば恋人とのめくるめく経験は、ずっとこの気持ちよさが続けばいいのにと思いながら、しかし、あっという間に快楽は過ぎ去ってしまい、その感覚は残らない。
だからこそ、何度も求めてしまうのだが、そこに焦りが生じたり、色んな問題が生じたりする。
突拍子もない思いつきだが、不倫も一つの現れではないか。
それは記憶に残らないからなのだが、しかし、思い出せなくても経験したことは価値があるのだ。

この点が、そのまま『リメンバー・ミー』批判になる。
もしかしたらピントがずれているかもしれない。
それは、自分が映画をちゃんと見ていないからだ。
しかし、それはどうでもいい。
映画を批判することが目的ではなく、記憶の価値を切り下げることが目的なのだ。
記憶の価値が下がれば、生がより軽く、シリアル・ポップになる。
自由が拡大する。
それを自分は考えている。

そんなことを考えて、新型コロナウイルスの影響で直前まで開催するかどうか決まらなかった子どもの卒業式でのビデオカメラの撮影は止めようと思った。
参加すれば、それでいい。
目に焼き付けるとか、記憶にこだわる必要もない。
その場を経験すること。
それが重要だ。

そして、卒業式のようなイベントではなく、先日、家族でドライブに出かけた時にビデオカメラを持って行った。
そして、海沿いの神社で何気ない場面の家族を動画におさめた。
ワンカット30秒程度で。
その方が、自然でいいのではないか。
あまり見ることは無いかもしれないが。
動画を撮影する際は、保坂和志さんの『プレーンソング』に出てくるゴンタを意識して。

「気づく」とはどういうことか (ちくま新書)

「気づく」とはどういうことか (ちくま新書)

  • 作者:山鳥 重
  • 発売日: 2018/04/06
  • メディア: 新書
プレーンソング (中公文庫)

プレーンソング (中公文庫)

新しく使い始めたジュースアップというペン

ジュースアップというペンをようやく手に入れた。
文房具ソムリエの菅未里さんの記事を読んで、欲しいと思っていた。
定価210円。
今回は0.4のブルーブラックを選択した。
自分は、細すぎるペン先は警戒するので、中間の0.4を選んだ。
色は好きなブルーブラック。
替え芯、リフィルを手に入れるのがめんどくさそうだが。
それは今後の課題。

第一印象。
確かに細かい文字が書ける。
ほぼ日手帳weeksの方眼マスは3.55mmと小さめだが、その中に文字を楽におさめることができる。
シグノRT1、0.38と似た感じだ。
そういえばペンのデザインもシグノRT1と対抗している。
ペン軸の長さはほぼ同じ。
特徴的なのは、ノック部分の頭からクリップ部分が出ているデザインが共通していることだ。
このデザインによって、たとえば手帳にクリップした時にペンの頭が飛び出るのを抑制できる。
つまり、ジュースアップも明らかに手帳に挟んで使うことを想定しているのだろう。
そして軸の太さは、シグノRT1より細い。
色々とジュースアップはシグノRT1がライバルになっている気がする。
自分の場合は、ほぼ日手帳weeksに挟んでおいて、スケジュールなどをさっとメモしたい時にノック式の利点を活かしてメモするような用途で使う予定だ。
落ち着いて書くことができる場面では、キャップ式の万年筆カクノ透明軸EFを使えばいい。
そんなイメージで使う予定だ。
なお、私は手帳の多色にはこだわっていない。
佐々木かをりさんに近い感覚だ。
基本、単色主義でやっている。
久し振りの新しいペンなので楽しみである。

備蓄用として「水に流せるポケットティッシュー」を買ったよ

セブンイレブンもまだマスクは品切れだ。
咳喘息持ちなので、ちょっと困っている。
もう職場での配給が頼みの綱だ。
そんなコンビニで「水に流せるポケットティッシュー」という商品があった。
ティッシュじゃなく「ティッシュー」と伸ばすのが気になって仕方ないが、今回はそこじゃない。
「水に流せる」がポイントだ。
これ、備蓄用としていいかも、と購入した。

今回、新型コロナウイルスに伴うトイレットペーパー騒動を踏まえて、いざという時に水洗トイレに流せるのはありがたいと思った。
このように少しずつ色んなモノを備蓄している。
そして、ローリングストーンズ法で回していけたらいい。
間違えた、ローリングストック法だ。
こういった災害に備える備蓄を趣味にしたらいいと考えている。
災害そのものは楽しくないが、準備は楽しんでやればいい。
それはままならない運命に対する甘い復讐でもある。
また、楽しめば災害が起こらなくても無駄ではない。
また、備蓄はキャンプとの相性もいい。
色んなツールやモノはキャンプにも使用できる。
キャンプ用ツールは災害時に役に立つ。
その辺りも備蓄とキャンプを接続しながら少しずつ準備している。

可能性の罠~アドラー心理学

昔から、勉強をしないのは、勉強しないことで勉強すれば俺はできると自分の可能性を維持できるからだと考えていた。
つまり、必死に勉強して大学受験に失敗してしまうと、勉強しても駄目なんだと全否定されると思い込んで、じゃあ勉強しなければ結果として大学受験に落ちても、勉強しなかったからだと自分の可能性は守ることができる。
やればできるという可能性の中で生きることができる。
そういう倒錯だと思っていた。
私は、その可能性の罠に陥って大学浪人を2浪してしまった。
代々木ゼミナールに通って、そこから抜け出せたのはラッキーだった。

そして、最近、その概要だけは三次資料で知っていたアドラー心理学の二次資料=『嫌われる勇気』を読んだら、自分の考えていたことがアドラー心理学のものだとわかった。
おそらく、アドラーを意識せずに何かを経由して自分にインストールしたんだと思う。

例によってダイソーの読書台(税抜き200円)に本を立てて、ポメラDM200で引用しながら読んでいる。
哲学についての本なので、自分で考えることも大事だから、自分で考えたことは、厚口専科という分厚い手帳にシグノRT1でメモしている。
アナログツールとデジタルツールと自分の思考をフル活用して読んでいると没頭できる。
新型コロナウイルスと天気を口実に自宅に引きこもっているので、没頭できる本があるのは助かる。
久し振りの没頭だ。
アドラー心理学の思考をインストールして、使える武器としたいと考えている。
ああ、それがライフスタイルか。

禅問答

『嫌われる勇気』は、青年と哲人の対話という形式で書かれていて、その思想からちょっと禅問答みたいなおもしろさもある。
常識をひっくり返す思考が多いからか。
アドラー心理学には、常識へのアンチテーゼという側面があります」とあった。
禅問答ということで、録画してある『大人の一休さん』と接続してみたい。
無理か。

ニーチェのような劇薬

アドラーは、価値を転換する断言が豊富だ。
個人的にはアドラーの言葉ではなく本書の対話での哲人の言葉なのだが「過去など存在しない」という言葉はすごいなって思った。
この過去や感情からの自由度は桁違いの解放感を与えてくれる。
その自由は一方で厳しい自由であり、だからこそ〝勇気〟が必要となるのだろう。
アドラーもまた、ニーチェのような「劇薬」なのである。
否定、~してはいけない、も多くて掟のようでもある。

アンガーマネジメント

個人的な課題としてアドラーを使いたいのは、アンガーマネジメントである。
いわゆる怒りの爆発をコントロールしたい。
そこに「怒りとは出し入れ可能な「道具」」と喝破するアドラー心理学は有効だと感じている。
しっかりその思考をインストールすれば、自分の怒りも道具として扱えるようになるのではないかと期待している。
怒りを別の道具と交換すること。

「課題の分離」と子育て

特に子どもとの関係を再構築するのにも、アドラー心理学は機能しそうだ。
本書における対話においても、親子関係の事例が話題になることが多かった。
子育てにおいて有用なのは「課題の分離」という概念だろう。
子どもに「勉強しなさい」という口酸っぱく言うのは無意味だ。
ただ、それが腹落ちしていないので、つい口をついて出てしまう。
しっかり、インストールしていきたい。
子どもをサポートすること。
そして、子どもがサポートを求めやすいような関係性を再構築すること、それはGoogleが言う「心理的安全性」に接続する。

色々と

このようにアドラー心理学は、様々な場面で有用だから、他の本も読むなど集中してみるといいかなと思っている。
これはと思った思考は一気にインストールすると定着しそうだ。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

自分以外の何かへの関心

自分の心や気持ちにばかり注目しているとろくなことにならない。
何か自分以外の対象に没入するようにした方がよいだろう。
その没入の際にも、自分の心にとらわれず、できる限り対象そのものに向かうよう心がけた方がいい。

具体的には投資の勉強なんか、いいんじゃないかと思っている。
バフェットやマンガーはとにかくたくさん資料を読んでいるらしい。
企業の年次報告書アニュアルレポートとか、その他。
とりあえずアニュアルレポートを無心に読むことから始めようか。
その過程で知らない単語とか出てきたら、好奇心に従ってそれらを調べてみる。
投資するかどうかは二の次にして、まずは興味を持った企業について調べてみることだ。
田中泰延さんの方法では、調べるのが9割以上なのである。
田中さんは、書くことについて書いているわけだが、それは投資についても当てはまりそうだ。
投資は調べるのが9割以上、って言い切っていいだろう。
バフェットやマンガーも同意するはずだ。
たとえばPDFのアニュアルレポートを読むにはスマホより画面が大きいタブレットの方が便利だ。
手元にあるのはNexus 7、小さいタブレットだが、ちょうどいいと感じる。
PDFをダウンロードしたら、Googleドライブへアップロードすると、Nexusと共有できる。
そんな中、ネットワンシステムズ(7518)という企業のアニュアルレポートはPDFじゃなく、スマホで見やすいくて、関心した。
しかし、こうやって色んなツールを並行して使うから、書斎が欲しいなあ。
自分の机の上に複数のツールを整然と配置したい。
それが知的スペースになる。
その書斎があれば、最近買った登尾豊『幸田露伴論考』も机上に置いておける。
こういう分厚い専門書は手元においておかないとなかなか読まなくなるよね。
手元にあれば露伴五重塔』も読み進めようと思う。
幸田露伴もまた「自分以外の何か」だ。
元々、自分は日本語日本文学科で日本の近代文学を専攻していたので文学研究には親和性がある。
文学は老後の楽しみにはよい。
いや、老後まで待たなくていい。
今、始めるといい。
精神衛生上もよいだろう。
古典はいいものだ。
これからは、古典をどんどん読んでいきたい。

とにかく自分、自己を捨てることだ。
いや、悟りでも開かないと捨てることは無理だろう。
とりあえず自分をチェストに保管しておくようなイメージで。
これはマインクラフトだ。
自分以外の何かへの関心を持つこと。
没頭すれば自己を放下できる。

そして、そのタイミングで、アドラー心理学について『嫌われる勇気』を読んでいたら、「自己への執着を、他者への関心に切り替えていくのです」という言葉があった。
アドラー心理学のベクトルが自分の今の志向とぴったり合っていると感じた。
方向性はたぶん間違っていないようだ。
ここまま進む。

読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術

読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術

  • 作者:田中 泰延
  • 発売日: 2019/06/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
幸田露伴論考 (学術叢書)

幸田露伴論考 (学術叢書)

  • 作者:登尾 豊
  • 発売日: 2006/10/01
  • メディア: 単行本
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

新型コロナウイルスに対して野家啓一『科学哲学への招待』

新型コロナウイルス騒動について考えていたら、ちょうど読んでいた野家啓一さんの『科学哲学への招待』が接続した。

たとえば、国民の多くが専門家の言葉を信用せず、ワイドショーが起用する「専門家?」の言葉を信じてしまうのは、東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故以降の「信頼の危機」が根深いのではないかと感じた。
国民の多くが、政治だけではなく、政策に根拠を与える科学にも不信を持っているのではないか。
このような状況で、専門家が科学的に「希望者全員のPCR検査は不要」と何度説明しても、国民は納得しない。
もはや理解しようという姿勢が不信により失われてしまっているように見える。

また、本書で、

しかし、「科学的合理性」と「社会的合理性」とはしばしば食い違い、必ずしも一致しないことが多い。2658

と書かれていた部分は、自分が新型コロナウイルス騒動で考えている「理解と納得」のズレと接続した。
科学的合理性が理解であり、社会的合理性は納得なのである。
そして、政治家は前者より後者を見ながら動く。
それがまた安倍政権の迷走を感じさせる結果になっている。
科学的合理性を理解して政策を動かし、それを国民に対してわかりやすい言葉で説明し納得させるのが政治家の仕事だろうが、安倍首相の3月1日の記者会見でもそれは成功していない気がする。
ちなみに2月28日のビル・ゲイツの言葉はわかりやすく、勇気づけられた。
平易な英文だし、Google翻訳にパラグラフ単位でコピペして読めば簡単に理解できるのでおすすめだ。

しかし、野家啓一さんの本を読んでいると、単純に「理解と納得」の対立ではないなあと考えさせられる。
その両者を分けることができない時代なのだ。
ここでは、リスクコミュニケーションが大事になってくる気がする。
専門家と一般人とのコミュニケーション。
政治家のアナウンス。
安倍首相はどうにも国民に対するコミュニケーションが下手くそで、平時はアベノミクスに支えられてそれでも良かったが、COVID-19の危機管理上はリーダーとして不十分だ。

本書は、2011年の東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故を踏まえて加筆されている。
そして、2020年の新型コロナウイルス騒動を見ても、本書がよく理解できてくる。
コトはそれほど単純ではない。
科学者(専門家)と市民の分断が、科学史の中でどう位置付けられるかもよくわかった。
今読むのに良い本だと思う。
少なくともTwitterを見るより、役に立つ。

科学哲学への招待 (ちくま学芸文庫)

科学哲学への招待 (ちくま学芸文庫)