鈴木宏昭『私たちはどう学んでいるのか』で宮台真司の「感染動機」が紹介されている。
これは、誰かモデルを設定し、その人のようになりたい、という動機である。
感染動機があれば、学習そのものが快楽といった内発的な動機に基づく学習に接続する。
一旦、内発的動機づけによる学習サイクルが回り出せば、勝手に成長する。
情熱大陸へようこそ。
代々木ゼミナール
私は、代々木ゼミナールで感染した。
しかも、複数の講師に感染し、学習することの快楽が爆発した。
結果、それほど勉強したという自覚が無いものの、成績は向上し、大学入試センター試験で高得点を取ることができた。
そうしてやっと地元の公立大学へ合格できた。
子どもたち
自分の子どもたちを見ていると、この感染動機に欠けている。
ように見える。
まあ私も19歳でやっと感染したのだから、長い目ロングスパンで見る必要があるかもしれない。
子育ては忍耐だと思う。
長い時間待つことを強いられる。
自分は、待つことができないまま、あれこれ子どもたちに対して働きかけを行ってしまって、かえって心理的安全性を削ってしまったかもしれない。
馬を水辺に連れて行っても、無理矢理水を飲ませることはできない。
環境を整えても、無駄になることも多い。
大学や塾の教育費が無駄に思えることもあるが、それは仕方ない。
これってピーター・センゲが言うフィードバックの「遅れ」でもあるか。