鹿児島国際大学の小林潤司学長の入学式式辞は具体性の「接続」が見事だったよ~世界を変えるコミュニティとしての大学

今年2023年の4月から鹿児島国際大学の新しい学長になられた小林潤司先生の入学式式辞が良かったので紹介する。
下記リンク先の記事に学長式辞PDFがあるので、そちらを読んで欲しい。
www.iuk.ac.jp
まずは新入生への歓迎の言葉、そして鹿児島国際大学の概要。
「さて」で話題をこの春に第1期生を迎える看護学部へ転換する。
このコロナ禍を経験し「医療現場で働く人たちの困難で過酷な業務の実態」について知りながらも看護師を志す「高い志と固い覚悟」に敬意を表する。
それは、決して高邁な理想ではなく、おそらく「やむにやまれぬ心」による選択ではないか。
この「やむにやまれぬ心」というのは、『八重の桜』という大河ドラマでの言葉だが、その幕末から明治期を生き抜いた女性のドラマにおいて、吉田松陰には「断固として事を行う時、人はみな狂気」という台詞が与えられていた。
小林学長は看護学部と自らのイギリス文学という専門の「接続」として、リットン・ストレイチーの『ナイチンゲール伝』を紹介された。
この式辞では、全体として文学作品や映画、ポップスの歌詞といった具体性とメインに置かれた鹿児島国際大学鹿児島大学学生による「美談」が見事に「接続」していた。
「接続」がポイント。
ストレイチーのナイチンゲール伝では、決して「白衣の天使」といったきれいなイメージではないナイチンゲールが描かれているようだ。
自分は未読、ぜひ読んでみたい。
私も、ナイチンゲールはナース看護師という仕事を別のステージへ変革させた一種の起業家だと見ている。
いわば「ナースの発明」を行ったのだと思う。
そんなナイチンゲールをストレイチーは「悪魔に取り憑かれたような」と表現している。
それは、つまり「やむにやまれぬ心」であり、一種の「狂気」だったんだろうと。
そして、小林学長は、大学で学ぶ目的は「自分を取り巻く世界に何らかの変化をもたらせる人になること」だと言われる。
しかし、ナイチンゲールや幕末の志士たちのように「悪魔に取り憑かれる」ような情熱大陸を持つことは誰にでもできることではない。
そこで紹介されたのが、鹿児島国際大学の学生の一人。
下記の南日本新聞記事をまずは参照*1
373news.com
373news.com
www.373news.com
とにかく黙って上記3記事をざっと読んでもらいたい。
それで心が動く人は多いと思う。
なぜか。
それはこの大学生二人が決して新聞記事に載ろうとか、表彰されようと思ってアクションを起こしたのではないってことだと思う。
そこには、小さいながらも「悪魔に取り憑かれたような狂気」=「やむにやまれぬ心」があったんだと思う。
体が自然に動いたのだろう。
最近読んでいる白取春彦さんの『「愛」するための哲学』で言えば、まさしくそこに「愛」があった。
小林学長は、このエピソードに映画『ペイ・フォワード 可能の王国』を「接続」された。
その映画も、自分は見ていない。
読んでいない本、見ていない映画がまだまだたくさんある。
この映画では、主人公の中学生が、人に親切にされた時にお返しする(ペイ・バック)ではなく、別の3人に親切を前に送る(ペイ・フォワード)を試みる。
そのアクションは決してうまくはいかないのだが、それでも本人が気付かないうちに、世界に大きな変化を与えていたというものだ。
上記記事に紹介された大学生二人のアクションもそういった、世界に大きな変化を与えるものとなり得る。
そのうちの一人が鹿児島国際大学の学生であったことに小林学長は誇りをもたれているのだろう。
自分は、黒人の公民権運動のきっかけとなったローザ・パークス事件を思い出した。
あれもローザ・パークスは、キング牧師のような高い志でバスの座席移動をボイコットしたのではなかった。
あの瞬間、ローザ・パークスは「悪魔に取り憑かれた」んだと思う。
そのアクションによって世界は変わった。
小林学長は山下達郎さんの歌詞を引用されて「本当の強さは『ひとりじゃない』って言えること」という*2
大学というコミュニティが、困った時に周囲に助けを求め、逆に自分にできることがあれば手を差し伸べられる場であることを希望して式辞をしめられた。
ちょっと長いとも感じた式辞だったが、決して退屈はしなかった。
この式辞を聞いて、何人がストレイチーを手に取り、ペイ・フォワードを見るだろうか。
少なくとも自分にこのブログを深夜に一気に書かせるだけの熱を与えてくれた。
私はあくまで「悪魔に取り憑かれた狂気」にこだわりたい。
ずっと自分が頭に置いている言葉として「仕事や家庭を壊さない程度の狂気」というものがある。
生きるにはどうしてもそれが必要だと。
しかし、仕事や家庭を壊しては駄目だ。
そう自分に言い聞かせている。
また、最近、鹿児島国際大学の新設看護学部とも「接続」するが、看護師さんたちの具体的な取り組みを知る機会があった。
そのプレゼンでは、たとえばナースの粘り強いアクションにより、患者さんだけではなく、その家族関係すらも変えた事例があった。
それは少し涙ぐみそうなくらい自分の心を動かした。
そのナースのアクションは、診療報酬明細書レセプトには記載されず、点数も与えられず、病院の収入にもならない。
しかし、確実に世界を良い方へ変えたものであり、そのアクション自体に価値があると思った。
それは山口周さんが描くコンサマトリーな世界に近づくアクションなのである。
小林学長の式辞をきっかけに、自分の中でも様々な「接続」があった。
それをとりあえずすべて書いておこうというのがこの記事だった。
深夜3時台の中途覚醒からの鼻詰まり不眠の中、悪魔に取り憑かれて書き始めてもう5時になる。
冷たい雨が今日は体に浸みるだろう。
仕事に差し支えなければ良いのだが、気分は爽快ではある。
それはいい事だろ?

*1:ウェブの新聞記事は、そのうち消されてしまうことが多いので自分はOneNoteにクリップした。Evernoteでもいいよね。

*2:「ずっと一緒さ」収録のベスト盤OPUSは持っていて損は無い