医師の働き方改革とマルクスとメイ・サートン

中途覚醒から不眠に陥っている。
深夜3時を回った。
スコッチウイスキーハイボールの350ml缶を開けた。
大丈夫、車通勤ではない。
これは松本圭二の方法でもある。
そして、ちょっと思い付いたことをこうしてブログにする。
読んでいるのは、メイ・サートン『夢見つつ深く植えよ』と佐々木隆治『マルクス 資本論』だ。
マルクスによれば「労働日の制限」は先決条件である。
だとすると、今更ながら「医師の働き方改革」についても、当然、先決条件なのだろう。
医師が残業しなくてもよい社会の仕組みを作らないといけない。
そういう動きなのだと思う。
しかし、一方で、メイ・サートンやパーリー・コールに「労働日の制限」は必要だろうか。
いや必要ないだろう。
彼らの活動は「労働」ではないから?
それが認められるのであれば、医師の働きも、一部、作品=artであり、「労働」ではないのではないか。
いわゆる「情熱大陸」によく取り上げられるような医者は、「労働」ではなく、アーティストのように見える。
それらを十把一絡げに「医師の働き方改革」の枠組みで「労働日の制限」を適用するのはどうなのだろうか?
自己研鑽としての手術?
自分も、このような中途覚醒からの深夜時間に仕事のアイデアを思い付き、それが日中の勤務時間の仕事にプラスの影響を与えることがあるが、その分の残業代は申請しない。
そういった働き方もあるのである。
何か結論があるわけではなく、色々な要素が、びびっと接続したので、ブログの形で公開し、残しておくものである。
深夜の思考=自己研鑽はおもしろい。

追記2023年12月2日

マスコミに追従して、やたらと「自己研鑽」を労働に組み込むとおそらく全方向が不幸になると思っている。
自己研鑽を労働に入れたがる労働者は、そもそも自己研鑽やりたくないのだ。
自己研鑽を拒否できない状況が問題。