松たか子さんの歌と中年の危機

簡単にツイートして済ませるのではなく、ブログを書かないと駄目だ。
ちょっとしたことでも、時間を確保して、集中して140字以上で言語化すること。
それが一番大事。
最近、映画ドライブ・マイ・カーからチェーホフのワーニャ伯父さんを読んだ。
ワーニャが自分と同じ47歳だとわかって、急激に引き込まれた。
ドライブ・マイ・カーの中で、ワーニャ伯父さんの配役、誰が誰を演じていたかを特定しようとして苦労している。
そういう情報がインターネット上に存在しない。
自分で特定するまで至っていない。
そして、松たか子さん。
大豆田とわ子と三人の元夫いうドラマがあった。
その主題歌を松たか子さんが歌っていた。
歌詞とその声が、中年の危機にある自分の背中をしゃんとさせて良き。
流れる時に立ち止まっても、自分の来た道は振り返んな、と。
気合いが入る。
自分の幸せの姿も自分で決める、という強い意思。
そうした意気=粋があることで、中年の危機、そのダークサイドに陥ることなく、日々やっていけるのだろう。

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竹内まりや「駅」歌詞考察

10代の頃からなぜか竹内まりやさんの音楽が好きだった。
女子のメンタリティを持っていたのかもしれない。
今や47歳のおっさんになってしまったが、今でも不意に流れてきた曲と歌詞に心が揺れ動く感覚は残っている。
数々の名曲の中から、今回は「駅」の歌詞を考察してみようと思った。
歌詞については、各自、検索して見てもらいたい。
歌詞って、コピペできなくなっていたり、色々著作権絡みでめんどくさいから引用はしない。
引用せずに考察のみ進めてみる。

まず、竹内まりやでこのイントロだったら、おそらく男女の恋愛の歌、しかも単純なハッピーソングではないだろうと容易に予想できる。
レインコートが男か女か最初は不明だが、すぐに昔つきあっていた男だとわかる。
この歌詞の主人公は女性なのだろう。
駅で昔の恋人を偶然見かけた、という出だし。
雨が降っている駅の情景。

あなたを別れても自分は元気だということを相手に伝えたいというメンタリティは、どこか他の歌詞でも見かけた気がする。
もしかすると竹内まりやじゃないかも。
男というのは、別れた女性が今でも自分に未練があると思いたがる種族のようなので、それに対して否定をしたい。
とはいえ、こうやって歌詞を見ると、昔の彼氏を完全に断ち切っているわけではない。
いや、だからといって、それを未練というとちょっと違うと思う。
その辺りの複雑な感情を竹内まりやはいつも歌っている気がする。
この「駅」の時代とは違い、今ではあなたがいなくても元気で暮らしていることはさり気なくどころか、SNS経由でバンバン伝わるよね。
失われた微細なニュアンス。

今ではお互いにそれぞれパートナーがいることが示唆される。
同じ車両のしかも隣に乗って、隣の車両の横顔が見えるというシチュエーションはわざとなのか。
あえて距離をとったり、一本パスしたりせずに同じ車両に乗るのは、相手を見たい、という気持ちがいくらかあるのか。
それとも完全にいつもの車両に乗ったうえでの偶然なのか。

その後の歌詞が、ちょっとわからない。
最初は、自分だけが相手を愛していて、相手は自分を愛していなかったとわかった、ということかと思った。
しかし、あらためて歌詞を見ていると「だけ」というのは、相手が自分だけを愛していた、というにも読める。
この辺りのブレはわざとなのか。
この「駅」の最大の謎はここにある。
ここの解釈の違いで大きく曲の印象は変化する。
この解釈のブレは下記などですでに考察されている。

中森明菜さんに提供された曲だったのか。
知らなかった、いや、忘れていた。
その後、決定的な出来事は何も起こらずに、男性は人の中へ消えていく。改札口を出るまでの感情の揺れを歌った、まさに「駅」というタイトルにふさわしい名曲である。
今だったら「駅ナカ」でもいいかもしれない。
こういう街で自分だけが相手を見つけて、しばらく眺めるといった非対称性は何も起こらなくても心理的ドラマがあって、おもしろい。
平安時代であれば、自分の夢に相手が出てこない、自分ばかりあなたのことをこんなに思っているのにと歌に詠むような非対称性のおもしろさがある。
やはり恋愛においては、両者にギャップがあるから、そこに美しさが生まれるんだとわかる。
さて、このようなシチュエーション、実は逆パターンもあるかもしれない。
何しろ、同じ車両に乗る機会があったのだ。
自分が気づかずに、相手が気づいて同じように声をかけずに眺めていたようなことがあったかもしれない。
そうやって想像することで、人は前進するのではないか。
完全に相手に対する思いをふっきる必要などない。
そこは放置しておいて、一つ一つのアクションを積み重ねるだけである。
今、自分のブログを「竹内まりや」で検索してみると、5本も記事があった。
その中で「中島みゆきだと冗談っぽくなり、ユーミンだと都会的な感じになるところを竹内まりやが最もリアル」という主旨を書いていた。
それは、竹内まりやが最も中道ということだと思う。
中島みゆきユーミンのどっちが左派か知らんが。
1998年以降であれば、竹内まりやのポジションにいるのはaikoさんなんじゃないか(椎名林檎宇多田ヒカル浜崎あゆみと比較したポジションの問題)。

そして、昔ファンだった牧瀬里穂さんのデビュー曲は竹内まりやさんの曲なんですよね。
ラクル・ラブ。
この歌詞もグッときました。
牧瀬さんが決して歌がうまい人ではなかったのも、かえって良かった。
「駅」と異なり「ミラクル・ラブ」に関しては、個人的思い入れがあるにしても牧瀬里穂バージョンの方が感情が動きます。

基本的に歌詞は情報が不足しているので解釈の余地は大きい。
また、それぞれの解釈のいずれかが正しいか決着はつきにくい。
歌詞の外部の情報が無いからだ。
それでも、たとえば「シングル・アゲイン」の歌詞を読むことは「駅」の解釈の参考になるかもしれない。
ちょっと読んだだけでも、別れた相手が悔やんでいるならやっと本当にさよならできる、という感覚は「駅」にも流れている気がする。
竹内まりやさんの歌詞の世界の女性は、別れた相手に未練の一歩手前のような感情を残しつつ、相手と対等になることでその感情を相対化したいと思っている。
ある種の意志の強さを感じる。

このように解釈は尽きない。
ちょっと長い考察で脱線もしましたが、やはり自分のメンタリティと竹内まりやさんは一番接続するようです。

長期投資とドライブ運転計画は似ている~Stay the course & Drive my car

ジョン・ボーグルの言葉に「航路を守れ」というものがある。
これは、ボーグルの投資理念を端的に表した言葉で本のタイトルにもなっている。
一方、長距離のドライブではあらかじめ運転計画を立てることが重要だと自動車学校で習った。
しかし、実際に運転計画を立てているドライバーは少ないだろう。
自分は、ちょっとした距離でも、たとえば複数車線の道路において、どの車線を走行するか、といった細かいところまでシミュレーションして運転計画を立てる。
そして、長期投資において「航路を守る」ことと、車の運転において運転計画を維持し、隣の車線の車の流れが速く見えても車線変更などせずに「車線を守る」ことが同じスタンスのように思った。
車線をしょっちゅう変更するような運転をするドライバーがいる。
そういうドライバーは、おそらく投資にも向いていないと思う。
俗に車の運転とセックスが同期しているようなことを言われたりするが、運転と投資の姿勢も同期するんじゃないかと思った。
この長期投資と運転姿勢の両者を接続するイメージを持っておくと、運転している時に無理な車線変更をしなくなるし、また投資においても「航路を守る」ことができる。
まったく異なる2つの姿勢を自分なりに理解し、接続することで行動が強化される。
「ドライブ・マイ・カー」
いずれにせよ、自分の車を運転しないといけない。

abrAsus薄いメモ帳のペンにシャーボXのリフィルを入れたよ

abrAsus薄いメモ帳はA4コピー用紙をA7サイズに折り畳んで挟んでメモ帳にするもの。
メモした後は本体から外して、A4一枚に広げてスキャンして、例えばEvernoteなどに保存する。
自分の職場であれば、DocuWorksかな。
そういうメモ帳で、コピー用紙や裏紙がたくさん手に入る職場では有用だと思うのだが、最近、使えていなかった。
問題は付属のペン。
ゼブラのT-3が付属しているのだが、その4C-0.7リフィルは、この滑らか油性ボールペンが当たり前の時代にあっては、あまりにも書き味が悪い。
すぐに書けなくなる。
今回、色々と調べて、ゼブラの4C規格については、軸の太さが他のメーカーの4Cより0.1mm太いことがわかった。
というわけで同じゼブラの4C規格から、シャーボXのジェルリフィルJSB-0.5が良いだろうと判断した。
早速、それを買ってきてセット。
最初、インクが出なくて、こりゃ失敗したかと思ったが、しばらく放置していたら、滑らかにインクが出てくるようになった。
これで仕事は薄いメモ帳をメインにできる。
上の方から呼ばれて打合せすることが多いので、そういう時は薄いメモ帳だけ持っていけばいい。
そもそも偉い人は、下の人間を呼ぶ時には、どの案件かくらいは伝えて欲しい。
そうすれば、それに関係しそうな資料くらい持って行く。
何の案件か言わずに呼ぶ偉い人が結構多い。
打合せに行ってみて、案件の内容を聞いてから、「今、手元に資料が無いので後ほど」となって、無駄な往復作業が発生する。
だいたい大きな組織では、偉い人のせいでDXやら業務効率化が進んでいないことが多いんだよね。
やっぱり上流を変えないといけないし、ロシアはプーチンをどうにかしないといけない。

ところでAmazonだと、ボールペンの替え芯リフィルは高いんだよね。
送料などを考慮すると単価を高くしないと難しいのかな。

この薄いメモ帳でゼロ秒思考をやってみようと思う。
おそらくそれでは駄目だと赤羽雄二さんに言われそうだけどね。
そんなことはどうでもよくて、最終的には自分のスタイルを作らないといけないんだと思う。
自分で考えて、工夫して。

ところでブログを全然書けなくなっているのは、たとえばこうした記事にしても、最近はYouTubeで動画を見た方が早いよね、という風潮があると思う。
しかし、YouTubeをはじめとする動画は、めっちゃ時間を消費する。
片っ端から動画見ていると、自分で思考することが無くなって、本当に馬鹿になると思う。
だから、YouTubeはとりあえず「後で見る」に放り込んで、その10本のうち選んだ1本を見て、後はリストから外すというスタイルを作っている。
自分でブログを書いて、言葉にする。
それが考えるということに接続する。
そこは止めずに続けていきたいと思う。
この辺りも手書きのメモが元になっている。
仕事は薄いメモ帳、プライベートを中心とする日常はニーモシネのメモパッド、この2つのツールでメモライフをやっていこうと思う。

自己に集中しつつ、周囲の観察をおこたらない

「自己に集中しつつ、周囲の観察をおこたらない」ということを思いついた。
精神衛生的には、自己に集中した方がいい。
しかし、人の親であったり、人の夫であったり、組織で仕事をしているうえでは周囲の観察も必要だ。
通勤時に自己に集中し過ぎると、交通事故にあうだろう。
というわけで「自己に集中しつつ、周囲の観察をおこたらない」バランスが必要だと思った。
しかし、難しそうだ。
周囲の観察は、必要最低限にして、ほとんどのことに反応しない。
スルー力を起動する。
と、ここまで書いて、隣人の親子喧嘩がうるさい。
こういった刺激に対して、反応しないことが重要な姿勢だ。
自然現象のようにとらえるといいかもしれない。
桜島が爆発したことにいちいち反応してもいられない鹿児島県民。

ウィトゲンシュタインの言葉に、

何も考えなければ、気分は生まれない。何に遭遇しても、ただ平然としていられる。

というのがあるっぽい。
それは、アンディ・ウォーホルの、

私は機械になりたい。

という言葉を思い出します。
つらいのは気分の問題。
だとすれば、ムダな気分を生まないように、考えるのを止める。
機械になる。
それを「自己に集中する」と言っているのだ。
ただ、それだとワールドトリガーの人みたいに車にはねられるので「周囲の観察をおこたらない」というアクションを追加しておく。
「自己に集中しつつ、周囲の観察をおこたらない」というNextActionに落とし込むことが大事。
やるべし。

バフェットとスウェンセンがシンクロしたので書いておく

並行して読んでいたバフェット本とエール大学(イェール大学って表記は好きではない)のスウェンセンの本が同じ時期の同じ状況を書いていたのを同じタイミングで読んだので、おもしろいから書いておく。
『バフェットからの手紙 第5版』と『イェール大学流投資戦略』。

まずバフェットは「1993年、私は別の小さな投資をしました。」と書く。
それは不動産をRTC(整理信託公社)が売りに出しているという情報だった。

このときもバブル崩壊後で(商業不動産バブル)、RTCはバブルを加速させた楽観的な貸し付けが高じて破綻した貯蓄銀行の資産を処分していました。

一方、スウェンセンは、

1994年1月、イェールは14.8%の投資リターンを約束するリース契約付き不動産を購入した。

と書いている。
それも、

皮肉なことに、この無リスクのキャッシュフローをバーゲン価格で購入するという投資機会は、米国政府の代理機関である整理回収公社〔RTC〕から持ち込まれたものだった。

と書いていて、これバフェットと同じ状況で、同じようにバーゲン価格で不動産購入した話だとわかった。
バブル崩壊後には、リスクが低い資産をバーゲン価格で購入できるチャンスがある、という話。
両者ともRTCという共通点があって、おもしろいと思った。

ドライブ・マイ・カーを観たよ~カーフェリー考察

ドライブ・マイ・カーを観たよ~カーフェリー考察

妻と二人で映画『ドライブ・マイ・カー』を観てきた。
あと3年で私が50歳になれば、ペア割引ができることを知った。


www.youtube.com

正直、良かった。
3時間に耐えられるかどうか不安だったが、問題無かった。
退屈な場面はまったく無かった。
この感覚は、かつて青山真治監督の『ユリイカ』を観た時と同じ。
あちらもロードムービーだった。
それでクレジットを観ていたら、ジム・オルークの名前を見つけたので驚いた。
音楽を担当した石橋英子さんのバンドかな?
そういえば石橋英子さんのサントラも、ジム・オルークっぽくて、そこがユリイカと接続する。
上記、YouTube動画がいい。
ずっとドライブしている映像にテーマ曲、この出だしがサンガツっぽくて、自分のストライクだった。

映画の内容については、簡単に言葉にしない方がいいと思う。
しばらく浸る。
自然と色々、考える。
映画館を出た後、暗くなった天文館の風景が変化していた。
よい映画は、自分の中の何かを変えることで、世界を変える。

以下、映画の内容を含むので、まだ観ていない人は注意。
元よりネタバレが何か大きく影響するような映画ではないけれど。

(この下に↓続きを読む記法入れたのになぜか反映されない)

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