竹内まりや「駅」歌詞考察

10代の頃からなぜか竹内まりやさんの音楽が好きだった。
女子のメンタリティを持っていたのかもしれない。
今や47歳のおっさんになってしまったが、今でも不意に流れてきた曲と歌詞に心が揺れ動く感覚は残っている。
数々の名曲の中から、今回は「駅」の歌詞を考察してみようと思った。
歌詞については、各自、検索して見てもらいたい。
歌詞って、コピペできなくなっていたり、色々著作権絡みでめんどくさいから引用はしない。
引用せずに考察のみ進めてみる。

まず、竹内まりやでこのイントロだったら、おそらく男女の恋愛の歌、しかも単純なハッピーソングではないだろうと容易に予想できる。
レインコートが男か女か最初は不明だが、すぐに昔つきあっていた男だとわかる。
この歌詞の主人公は女性なのだろう。
駅で昔の恋人を偶然見かけた、という出だし。
雨が降っている駅の情景。

あなたを別れても自分は元気だということを相手に伝えたいというメンタリティは、どこか他の歌詞でも見かけた気がする。
もしかすると竹内まりやじゃないかも。
男というのは、別れた女性が今でも自分に未練があると思いたがる種族のようなので、それに対して否定をしたい。
とはいえ、こうやって歌詞を見ると、昔の彼氏を完全に断ち切っているわけではない。
いや、だからといって、それを未練というとちょっと違うと思う。
その辺りの複雑な感情を竹内まりやはいつも歌っている気がする。
この「駅」の時代とは違い、今ではあなたがいなくても元気で暮らしていることはさり気なくどころか、SNS経由でバンバン伝わるよね。
失われた微細なニュアンス。

今ではお互いにそれぞれパートナーがいることが示唆される。
同じ車両のしかも隣に乗って、隣の車両の横顔が見えるというシチュエーションはわざとなのか。
あえて距離をとったり、一本パスしたりせずに同じ車両に乗るのは、相手を見たい、という気持ちがいくらかあるのか。
それとも完全にいつもの車両に乗ったうえでの偶然なのか。

その後の歌詞が、ちょっとわからない。
最初は、自分だけが相手を愛していて、相手は自分を愛していなかったとわかった、ということかと思った。
しかし、あらためて歌詞を見ていると「だけ」というのは、相手が自分だけを愛していた、というにも読める。
この辺りのブレはわざとなのか。
この「駅」の最大の謎はここにある。
ここの解釈の違いで大きく曲の印象は変化する。
この解釈のブレは下記などですでに考察されている。

中森明菜さんに提供された曲だったのか。
知らなかった、いや、忘れていた。
その後、決定的な出来事は何も起こらずに、男性は人の中へ消えていく。改札口を出るまでの感情の揺れを歌った、まさに「駅」というタイトルにふさわしい名曲である。
今だったら「駅ナカ」でもいいかもしれない。
こういう街で自分だけが相手を見つけて、しばらく眺めるといった非対称性は何も起こらなくても心理的ドラマがあって、おもしろい。
平安時代であれば、自分の夢に相手が出てこない、自分ばかりあなたのことをこんなに思っているのにと歌に詠むような非対称性のおもしろさがある。
やはり恋愛においては、両者にギャップがあるから、そこに美しさが生まれるんだとわかる。
さて、このようなシチュエーション、実は逆パターンもあるかもしれない。
何しろ、同じ車両に乗る機会があったのだ。
自分が気づかずに、相手が気づいて同じように声をかけずに眺めていたようなことがあったかもしれない。
そうやって想像することで、人は前進するのではないか。
完全に相手に対する思いをふっきる必要などない。
そこは放置しておいて、一つ一つのアクションを積み重ねるだけである。
今、自分のブログを「竹内まりや」で検索してみると、5本も記事があった。
その中で「中島みゆきだと冗談っぽくなり、ユーミンだと都会的な感じになるところを竹内まりやが最もリアル」という主旨を書いていた。
それは、竹内まりやが最も中道ということだと思う。
中島みゆきユーミンのどっちが左派か知らんが。
1998年以降であれば、竹内まりやのポジションにいるのはaikoさんなんじゃないか(椎名林檎宇多田ヒカル浜崎あゆみと比較したポジションの問題)。

そして、昔ファンだった牧瀬里穂さんのデビュー曲は竹内まりやさんの曲なんですよね。
ラクル・ラブ。
この歌詞もグッときました。
牧瀬さんが決して歌がうまい人ではなかったのも、かえって良かった。
「駅」と異なり「ミラクル・ラブ」に関しては、個人的思い入れがあるにしても牧瀬里穂バージョンの方が感情が動きます。

基本的に歌詞は情報が不足しているので解釈の余地は大きい。
また、それぞれの解釈のいずれかが正しいか決着はつきにくい。
歌詞の外部の情報が無いからだ。
それでも、たとえば「シングル・アゲイン」の歌詞を読むことは「駅」の解釈の参考になるかもしれない。
ちょっと読んだだけでも、別れた相手が悔やんでいるならやっと本当にさよならできる、という感覚は「駅」にも流れている気がする。
竹内まりやさんの歌詞の世界の女性は、別れた相手に未練の一歩手前のような感情を残しつつ、相手と対等になることでその感情を相対化したいと思っている。
ある種の意志の強さを感じる。

このように解釈は尽きない。
ちょっと長い考察で脱線もしましたが、やはり自分のメンタリティと竹内まりやさんは一番接続するようです。