可能性の罠~アドラー心理学

昔から、勉強をしないのは、勉強しないことで勉強すれば俺はできると自分の可能性を維持できるからだと考えていた。
つまり、必死に勉強して大学受験に失敗してしまうと、勉強しても駄目なんだと全否定されると思い込んで、じゃあ勉強しなければ結果として大学受験に落ちても、勉強しなかったからだと自分の可能性は守ることができる。
やればできるという可能性の中で生きることができる。
そういう倒錯だと思っていた。
私は、その可能性の罠に陥って大学浪人を2浪してしまった。
代々木ゼミナールに通って、そこから抜け出せたのはラッキーだった。

そして、最近、その概要だけは三次資料で知っていたアドラー心理学の二次資料=『嫌われる勇気』を読んだら、自分の考えていたことがアドラー心理学のものだとわかった。
おそらく、アドラーを意識せずに何かを経由して自分にインストールしたんだと思う。

例によってダイソーの読書台(税抜き200円)に本を立てて、ポメラDM200で引用しながら読んでいる。
哲学についての本なので、自分で考えることも大事だから、自分で考えたことは、厚口専科という分厚い手帳にシグノRT1でメモしている。
アナログツールとデジタルツールと自分の思考をフル活用して読んでいると没頭できる。
新型コロナウイルスと天気を口実に自宅に引きこもっているので、没頭できる本があるのは助かる。
久し振りの没頭だ。
アドラー心理学の思考をインストールして、使える武器としたいと考えている。
ああ、それがライフスタイルか。

禅問答

『嫌われる勇気』は、青年と哲人の対話という形式で書かれていて、その思想からちょっと禅問答みたいなおもしろさもある。
常識をひっくり返す思考が多いからか。
アドラー心理学には、常識へのアンチテーゼという側面があります」とあった。
禅問答ということで、録画してある『大人の一休さん』と接続してみたい。
無理か。

ニーチェのような劇薬

アドラーは、価値を転換する断言が豊富だ。
個人的にはアドラーの言葉ではなく本書の対話での哲人の言葉なのだが「過去など存在しない」という言葉はすごいなって思った。
この過去や感情からの自由度は桁違いの解放感を与えてくれる。
その自由は一方で厳しい自由であり、だからこそ〝勇気〟が必要となるのだろう。
アドラーもまた、ニーチェのような「劇薬」なのである。
否定、~してはいけない、も多くて掟のようでもある。

アンガーマネジメント

個人的な課題としてアドラーを使いたいのは、アンガーマネジメントである。
いわゆる怒りの爆発をコントロールしたい。
そこに「怒りとは出し入れ可能な「道具」」と喝破するアドラー心理学は有効だと感じている。
しっかりその思考をインストールすれば、自分の怒りも道具として扱えるようになるのではないかと期待している。
怒りを別の道具と交換すること。

「課題の分離」と子育て

特に子どもとの関係を再構築するのにも、アドラー心理学は機能しそうだ。
本書における対話においても、親子関係の事例が話題になることが多かった。
子育てにおいて有用なのは「課題の分離」という概念だろう。
子どもに「勉強しなさい」という口酸っぱく言うのは無意味だ。
ただ、それが腹落ちしていないので、つい口をついて出てしまう。
しっかり、インストールしていきたい。
子どもをサポートすること。
そして、子どもがサポートを求めやすいような関係性を再構築すること、それはGoogleが言う「心理的安全性」に接続する。

色々と

このようにアドラー心理学は、様々な場面で有用だから、他の本も読むなど集中してみるといいかなと思っている。
これはと思った思考は一気にインストールすると定着しそうだ。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え