したいとぎゃーぎゃー訴えるのは本意ではない。密やかに生きたいところだ。仕事でも、静かにキーボードを叩きたい。ため息をつかず、独り言を言わず、淡々と仕事をする。電話の声は相手に聞こえるレベルの低い声に落とす。周囲にがんばってるアピールをしない。トラブルは事前に処理して気付かれない。そんなサラリーマンに私はなりたい。そして、いちいちうるさいアピール臭を消臭するのだ。駆逐してやる。ちょうど今、iPod nano からピアノソナタ第14番「月光」が流れていて、心穏やかにこれを書いている。クラシックはいいね。ロックは臭い。ガンガン臭ってくるからなあ。その振幅が、しかし、ある種の魅力になるかもしれない。
ともあれ、クチャラーから逃げて、密やかにこれを書いている。人通りがあって、ざわついていた方が心が穏やかでいられるのは不思議だ。静かな部屋で、一人がクチャラーだと耐えられないのに。他人はコントロールできない。できるのは、自分が密やかに仕事することだけだ。
自分はクチャラーだ。だから、ある意味自己嫌悪になっている。自分がクチャラーだということは、妻から指摘されて気が付いた。つまり、誰かが指摘しないと本人は気付かないのだ。くちゃくちゃ。以来、意識して「もぐもぐ」食べるように心がけているが、長年の癖になっているので完璧に改善されたかどうか、心許ない。自分の子どもたちには今のうちから指摘しておこうと思う。クチャラーのせいで、百年の恋も冷めることもあるらしいからだ。
自分が、嫌だな、と思う誰かは自分の鏡だと思っておいた方がいい。人の振り見てわが振り直せ。クチャラーも、アピール臭が強いのも、自分なのだ。
クチャラーとキーボードの音が無駄に大きいのはどうやら関係があるようなのだ。何をやっても音や所作が大きい人。声の大きさとはまた違う。不思議なことに、私は声が大きい人は不快ではないのだ。その辺りからも、自己嫌悪なのではないかと考えられる。
また、他人の音が気になる時は、自分が集中できていない時でもある。そんな時は、一旦、自分の席を外せばいい。ちょっと廊下や外を歩いてリセットする。歩いている時に思いつくアイデアも多い。まあ、仕事が暇なんだろうね。タスクが重なって、テンパっていれば、他人の音など気にならない。今は、クチャラーやキーボード音は、苦行だと思うようにしている。ため息とか、独り言や鼻歌もかんべんして欲しい。それが人生であり、巡礼なのだ。できるのは、自分が密やかに生きることのみ。