かっこわるい旦那としたくないよね。そこはわかっているが、言わずにいられない。要するに、したい、と表明して、ふられた方がすっきりするわけだ。拒否されれば自由になれる。自由。しかし、自由になるのは、なかなか難しい。不倫するわけにもいかない。いっそのこと、カマキリのオスみたいに、交尾したら用済みになって食べられた方が楽だ。楽じゃない人間のオスは、子どもを育てるためにその後何十年と働いて稼ぐ必要がある。うつ病になれば減退するらしいが、そうなると働くのが難しくなる。
この文章は、自らを相対化し、そこからの自由を目指して書いている。現代日本社会の現実の中で、なんとか道を見いだしたい。そうしないと頭がおかしくなりそうだ。頭がおかしくなるだけなら良いが、つい不倫してしまったり、性犯罪に走ってしまえば色々な人生が崩壊する。
妻に対する思いやりが足りなかったと反省している。夏休みで子どもたちがずっと家にいる+歯痛でストレスがあるようだ。旦那に付き合っている余裕は無いだろう。そりゃそうだ。
ユリイカ
ここでちょうど iPod nano からジム・オルークの「ユリイカ」が流れてきた。ぴったりだ。青山真治さんの同名の映画や小説でも、性や暴力がフラットに描かれていたような気がする。見たのはもう20年くらい前だろうか。南阿蘇でのロケ。外輪山をバックに走るミニバン。映画の人物は、多かれ少なかれ、たいてい壊れている。壊れていいのだ。壊れる自由。周囲を不幸にしたり、幸福にしたりする自由。みっともなかったり、かっこつけたりする自由。映画『ユリイカ』には、確かに「自由」があった。しかし、妻の視線はつらいね。それは自分の自己嫌悪のせいで、そう見えるのだろう。まあ、その視線に快楽を感じるようなマゾヒズムをインストールできれば最強だ。
コントロール
うまくコントロールしないと人生が終わる。痴漢とか、痴漢えん罪で終わってしまう。ストイックの技術が必要だ。よくわからんけどね。情けないお願いを妻にしてしまっても、一生懸命仕事をしていれば忘れる。いや、忘れないけれど、まあいいかと気持ちが軽くなる。外に出て仕事をすることは、家族の問題を一時的に忘れるために機能している。おや?最近話題の牛乳石鹸の CM かな?実際、その CM を見ていないのでなんとも言いがたいが。そもそも、その争いに参戦する予定は無い。夫婦の問題は、一般化するとおかしくなるところが必ずある。
ここまで書いたところで、ちょうどドラマ『CRISIS』の2話を見返した。腐った政治家に吐き気がする回だ。鍛冶局長の言葉遣いも、うんざりするものだが、それが中年以上の現実なのだろう。下半身の問題。「処理」という言葉遣いもよくないのだろう。どうすればいい?
男女のギャップと一夫一婦制のズレ。この辺りは、自分が男なので議論が難しいよね。どうしても男性の立場に立ってしまう。それはそうなのだけれど。
なぜサラリーマンの不倫が発生するのか
さて、以前からの持論だが、職場での不倫が多いのは、サラリーマン男子のかっこよさ、弱さ、色気を、妻は見ることはないが、同僚は見ることがあるからだと思っている。妻は、帰宅してふぬけた旦那しか見ないので、扱いがぞんざいになる。一方、同僚は戦っている姿を見るんだよね。そして、男どもはちやほやしてくれる女性の方に走ると。意思をもってしっかりコントロールしないと低きに流れるのは自然の摂理だ。サラリーマンの不倫を防止するには、こういったギャップを解消しないといけない。とりあずどうでもいいのだが、思い出したので書いておく。最終的にルビコン河を超えるかどうかは個人の意思だろう。
まとめ
まとめもなにも、たぶんこれからもまとまらないのだろうが、時々、こうやって率直に言葉にすることで自らを相対化し、少しでも自由になる方向へにじりよる試みしかないのだろうと今は考えている。
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