無駄な投資がその人の魅力となる、かな?

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フィルター1977を使ってみた。このぬいぐるみは実際、1977年辺りの熊。ボロボロで中身が出てくるので養生テープで応急処置している。#stuffedbear

CDや本に「無駄に」金を注いでいた学生時代の自分の方が魅力的だったのではないか?それは無駄では無かった。
それらの無駄は心の隙間を埋める教養でもあった。趣味と言ってもいい。教養とか趣味というとスノッブだけれど。
働き始めてから無駄にお金を費やさないようになってしまった。それが魅力を半減させている気がする。もっと無駄遣いした方がいいのではないか。その方が人としての幅を広げるのではないか。

アルコールは100円ちょっとの安い缶チューハイばかりでは駄目だ。最近は、プティモンテリアという飲み切りサイズのスパークリングワインをセブンイレブンでよく買って飲んでいる。307円。三倍高価。しかし、大した金額ではない。
アルコールへの投資が魅力となるのは、5,000円くらいのワインぐらいからかもしれないが。
お酒は夜の友になってくれる。忠実な友。

高級ノートのモレスキンも無駄。無駄に高い。しかし、そこに魅力が宿るのかもしれない。復活させてみた。
万年筆も高い。そこだけは手を出さないようにしている。

しかし、最近は音楽にも興味が無く、CDを買いたいとは思わない。時々、iTunesで曲単位で買う程度だ。
無駄遣いができる趣味が無いのだ。そのことが自分の幅を狭くしている気がしている。趣味ねえ。
大竹伸朗さんの本を読んでいると、その活動は趣味のようなものではなく、「やむにやまれぬ心」で動いている。本人はいたって真面目なのだ。自分の外側ではなく、内側からの衝動。誰に頼まれなくてもどんどん作る。そうした衝動。

デジタルツールはどうだろうか。スマホやパソコン。たとえばここへの関心が、Android本を書くことに繋がったような事例もある。しかし、人としての魅力には繋がらない気がする。なぜだろうか?アナログ優位の価値観に未だに縛られている可能性はある。1975年生まれの自分は、デジタルネイティブではないのだ。

まあ、色々と気にせずに、色々とやってみればいい。もがけばいい。迷えばいい。何でもいい。ブレークスルーするまでやり続けること。

既にそこにあるもの (ちくま文庫)

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