同窓会雑感〜青かった20年を超えて

高校1年のクラスの同窓会に参加してきました。
同窓会といっても10名参加の小さな飲み会。自分にはちょうどいいサイズでした。それ以上になると参加する心理的ハードルが高すぎます。それでもほとんどの人が20年以上ぶりに会うので緊張して胃がきつい感覚でした。そこで、フライングしてセブンイレブンでアルコールを軽く入れてから会に臨みました。これは大学時代の友人に学んだ手法です。軽く酔っていれば、乾杯までの時間も余裕をもって過ごせます。

女子はFacebookで知っている人以外わかりませんでした。ごめんなさい。たぶん高校1年の男子の自分は、女子の顔をまともに見ていなかったんだと思います。それで記憶が定着していない。実家で発掘したクラスの全体写真で予習していたのに、わかりませんでした。化粧や髪型も違いますよね。で、向こうは覚えている。というか、男子は4名いて、みんな変わっていない。よくも悪くも変わっていませんでした。
話し始めると女性も変わっていません。それでみんな変わっていないのですが、歳はちゃんととっていて、それが悲しくていい感じでした。みんなそれぞれにちゃんと歳を重ねている。歳を重ねるってことは、悲しいことだけれど、それがいいと思います。

最も浪人時代も含めてよく遊んでいた友人が、自分の代わりに『Androidスマホクラウド「超」仕事術』を持ってきてくれました。宣伝ありがとう。しかし、女性陣は「すごーい」とか言うのだけれど、やはり本そのものにはそこまで関心が無い感じでした。女性に買ってもらえるようなスマホ本を男が書くことができるだろうか?というのは、以前から考えます。なかなか難しそうです。

Androidスマホ&クラウド「超」仕事術

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女性も小説なら読むらしいです。小説かあ。妻に読んでもらうためにも、やはり小説なんですよね。チャンドラーが初めて長編小説を書いたのが52歳らしいですから。まだまだこれからです。夏目漱石が『吾輩は猫である』を出版したのが38歳くらいかな?
年齢で思い出したのが、その高校1年生の時にクラスの男子で流行っていた漫画が『MASTERキートン』で、自分たちがその平賀太一キートンくらいの年齢になったのだなあとしみじみします。キートンも自分が本当にやりたい考古学ではまだ目が出ておらず稼げず、一方稼げるのは特にやりたいとは思っていない保険の調査員という状況でした。40歳前後というのはそういう時期なのでしょう。

今思えば高校1年の男子って幼くて粋がっていてとても見られたもんじゃないのですが、自分は都合の悪い記憶はとんでいるみたいで何とか自尊心を維持することができました。これがクラスの女子会だともっと袈裟懸けに斬られている気がします。あー、もっと女子にも男子にも勉強にも高校にも素直に向き合っていたらよかったなあと今では思います。
でも、勉強や高校に素直に向き合っていたら、たぶん現役で大学に合格していまい、妻には出会えなかっただろうと思うのです。その一点において、自分は自分の情けない高校時代を肯定することになります。
しかし、それでも同窓会のことを考えると高校時代に告白の一つや二つでもしておくんだったと後悔しています。その方が絶対にオモロイ。

一人先に21:00に撤収しました。熊本からその日のうちに鹿児島へ帰るためです。
仮に熊本に住んでいたとしても、同じように先に帰った気がします。
アルコールが入ると眠たくなります。また、少し後ろ髪を引かれる感覚で帰った方がいいような気がしています。それで飲み会では、ここ数年「一次会主義」を貫いております。
熊本駅から新幹線に乗って鹿児島まで帰ります。以前は、漆黒の東シナ海を眺めながら、たっぷり2時間以上感傷的になる時間でしたが、新幹線は1時間で鹿児島まで運んでくれます。感傷的になりすぎずによい感じでした。
同窓会や学生時代の友人と会って、飲んでそこから一人帰る時のセンチメンタルな感情をうまく言葉にしたいと思いました。それこそ、青春小説を書くべきなのかもしれません。

牡蠣食べたかったなあ。でも、あたったことがあるから安全策でスルーしました。先日、息子が帰省先で入院したことも頭をよぎりました。しかし、その「とく寿」さんが持たせてくれたおにぎりを新幹線内で食べました。美味しかったことといったら。

九州新幹線が全線開業したのは2011年3月12日です。「あまちゃん」でのコンサートの予定日が3月12日でした。JR九州が全線開業に備えて準備したテレビCMがあります。音楽も映像もパーフェクトでハッピーで涙が出るCMなのですが、陽の目を見ることはありませんでした。YouTubeで見ることはできます。しかし。

そして、指宿枕崎線のようなローカル線に乗ると「あまちゃん」を思い出したりします。駅を降りて線路沿いに歩いていると頭ん中に流れるのは「潮騒のメモリー」です。
ここは岩手沿岸ではなく鹿児島なのですが、色んな感情がこんがらがって今、自宅で「ユーロホップ」を空けて飲みながら書いています。