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幸田露伴『努力論』を読んだよ〜明治の偉大なマッチョの思考

幸田露伴の『努力論』がよい。漢字が難しく、読みにくい。しかし、何とか読むことができる。勢いがある。思考がマッチョ。ダイエットしたいなら間食を止めたらいい。昨日の自分は斬り捨てろ。そんな感じ。バッサリと。これも「超訳」があればニーチェのように売れるのかもしれません。もうあるのかな?しかし、どうも日本では国産の哲学より外国産の哲学の方が売れるようです。ちなみにニーチェの方が露伴より23歳ほど年上。
巷に溢れている仕事術の本に飽いたらこの本を読んでみたらいい。Kindleで無料。青空文庫でもあるのかな?岩田健太郎さんにもおすすめしたい。出口治明さんが言っていたように、やはり古典を読むべきかもしれない。古典は読む人が少ない。故に読めばそれが強みになる。みんなが読んでいるベストセラーはみんなが読んでいるからこそ、読まなくていい。

努力の方向

成果が出ないのは努力の方向が悪いのではないか(9)。そういうことを露伴が言っています。読みにくいのですが、時々引っかかる言葉があります。そこをKindle Paperwhiteでハイライトして後から読み返す。前後を丁寧に読むことで少しずつ理解できるようになります。

また、努力は人の本性であるから、努力するしないではなく、するものである、という考え方もいいなと。みんな努力しているのだろうと。人と人とを比較するから努力の「量」に差があるように見える。そうではなくて各人、各人の器で努力しているのでしょう。

努力して努力する、それは眞のよいものでは無い。努力を忘れて努力する、それが眞の好いものである(35)。

努力していることを忘れた努力は、私はそれが情熱なんじゃないかと思います。「情熱大陸」に取り上げられる人の多くは、自分が努力しているとは思っていないように見えます。それは情熱に取り憑かれているんだと思います。

努力は即ち生活の充実である。努力は即ち各人自己の発展である。努力は即ち生の意義である。(829)

マッチョな露伴

全体的に感じるのは、幸田露伴のマッチョさです。たとえば次の引用↓

何事によらず自己を責むるの精神に富み、一切の過失や、齟齬や、不足や、不妙や、あらゆる拙なること、愚なること、好からぬことの原因を自己一個に帰して、決して部下を責めず、朋友を責めず、他人を咎めず、運命を咎め怨まず、ただただ我が掌の皮薄く、吾が腕の力足らずして、幸運を招き致す能はずとなし、非常の痛楚を忍びつつ、努力して事に従ふものは、世上の成功者に於て必らず認め得るの事例である。(121)

私は下記のブログを思い出しました↓
不運と理不尽に襲われたとき、うまく切り抜ける人と、逃げ切れずに酷い目に会う人の違い - 分裂勘違い君劇場

マッチョといえばこの記事。時々、読み返す記事です。

本当のところ、誰が正しいか、何て関係が無いのです。すべてを自分の責任として背負って何をやるかにかかっています。

新しい習慣を作る

去年の自己は自己の敵であると位に考へねばならぬのである。(298)

古い歯は抜かねばならない。新しく何かをしようと思えば、今までの習慣でも思想でも捨てなければならない。何を斬って棄てるかは人によって異なるだろうけれど、みんな自分でわかるでしょ?
そう露伴は言う。やっぱりマッチョの匂いがします。
楽して成功しようというビジネス書とは一線を画すわけです。明治の人間は違います。

惜福と分福

惜福とは何様いふものかといふと、福を使ひ盡し取り盡して終はぬをいふのである。(397)

分福とは何様いふものかといふに、自己の得るところの福を他人に分ち与ふるをいふのである。(525)

惜福は毎月の給与を使いきらずに投資信託に積み立てるようなイメージです。一方、分福は他人におごるようなイメージです。大きな事業を成すには惜福の工夫だけでは足りない。分福の工夫が必要になる。(618)なるほど。確かにそうかもしれん。田中角栄みたいなイメージ。ケチでは大きな成功は望めないんですね。

養生

四季、気候が人に与える影響についても書かれていて、もはや「努力論」を超えている。これは蓮花さんの「養生」に繋がる。(1406)公衆衛生的な考えもあって驚く。幸田文を生んだ父としての露伴にも関心があります。もしかしたら幸田露伴は、西洋に比べるとゲーテに近い存在なのかもしれません。ただ作家、小説家というだけではなく、当時の先端の科学的知見を踏まえて思考しているみたいなのです。

仕事術としての努力論

気が散ることに対する対処法もなるほどと思います。

先づ第一に、為す可き事があらば、為して仕舞ふのである。思ふ可き事があらば、思つて仕舞ふのである。為す可くも思ふ可くも無い事であるならば放下して仕舞ふのである。(1966)

2分でできることはその場でやってしまうGTDに繋がる思考です。たとえば隣人の音が気になるのであれば、気にしてしまう。そうやって逃げずに自分のストレッサーに向き合っていればいい。そして具体的にアクションを行えばいい。アクションが無ければそれは放っておくしかないだろう。
こういう心掛けで一つ一つ物事を片付けてしまう。慣れれば簡単で、朝起きる、服を着替える、布団を畳む、といった日常の所作になっていくと露伴は言います。(1972)
自分にとっては、GTDというタスク管理手法を知ったことは仕事の面でも、ストレス対処の面でも大きかったです。それによって自分にできることを淡々とやることが自然と身について、仕方のない思考であれこれ悩んで心に不調をきたすことが防げている気がします。

二つ三つやるべきことがあったらその中から一つを選んで死ぬ気でやればいい。死ぬ気でやればかえって病気などもせずになかなか死なない。(2034)また、補足すると死ぬ気になれば自ずと優先順位も見えてくるのではないかと。そして行き詰まったら次のやるべきことに移る。
自分のやっている仕事では、死ぬ気でやるってことが少ない気がします。ついつい楽しようと考えてしまうような事務仕事です。しかし、そのことでかえって心を病むことがあります。人間関係のストレスなど。事務仕事を死ぬ気でやればいいんですよね。その迫力は周囲に伝わります。腹も据わるでしょう。そうすることで、かえって倒れません。そういうコツがあると思います。

【編集後記】

また読み返そうと思います。「努力論」というタイトルに収まらない深さと広がりを感じます。
最初に「超訳があれば売れるだろう」と書きましたが、調べたら既にありました!しかし、私は原文を進めます。無料ですしね。

努力論

努力論