五重塔②〜決断力のないトップとしての朗円上人

少しずつ幸田露伴五重塔」を読む。
2回目。

其五

ぼろい半纏を来ている男。
自分は昔、半纏のことを丹前と呼んでいた。
調べると丹前はもっと丈が長くて、膝下くらいまであるものだとわかった。
時を戻そう。
「補綴のあたりし古股引」は、其三でのっそり十兵衛の妻が「膝頭の抜けたを辛くも埋め綴った股引ばかりわが夫にはかせておくこと」を恥ずかしがる描写があるので、半纏男はのっそり十兵衛だろうとわかる。

「鼠衣の青黛頭」を調べてみると、鼠衣は僧の服だとわかり青黛頭は、青黛という植物から抽出した漢方だとわかる。
青黛はいわゆるジーンズのインディゴブルーの染料としても使われているらしい。
また、漢方としては潰瘍性大腸炎の治療に用いられている。
潰瘍性大腸炎は指定難病であり、安倍晋三首相が有名だ。
小坊主なので頭を剃っているのだろうが、その頭が青黛のように青いということだろう。
剃った頭が青いのは若い証拠であり、武士は月代の部分を青く、若く見せるために青黛を塗ったらしい、という情報もある。
この小坊主を見ると、自分は夏目漱石草枕』に出てきた小坊主の了念などを思い出す。
そういえば『草枕』も禅僧だった。
その十兵衛は、朗円上人の寺に来てなんとか上人に会おうと試みる。
直談判しようというつもりらしい。
通常、取引先の一営業マンが発注元のトップに直接会いに来るということはあるまい。
十兵衛はそれを例ののっそりとした調子で試みている。
上人の部下たちにとっては困った野郎だが、定番のパターンで無理矢理追い出されようとするところに上人が現れる。
韓国ドラマの歴史物で身分の低い主人公が王様に直接訴えようとして、追い出されようとしたタイミングで偶然王様が通りかかるようなパターンだ。
このパターンというのは世界的な普遍性があるのだろうか。
いわゆる構造主義的な何かがあるのだろうか。
ちょっとおもしろいよね。
これ、小説やドラマだと成立するが、通常のサラリーマン組織人においては自分の源太に何も言わずに取引先の社長に直談判とかありえない。
十兵衛には「やむにやまれぬ心」(NHK大河ドラマ『八重の桜』)があるのだろうが、それはこの時点ではまだわからない。

其六

十兵衛が「やむにやまれぬ心」を上人へ訴える。
この辺りから物語が動き始める。
上人は「未学を軽んぜず下司をも侮らず」といった徳のある人物として描かれている。
「有楽形の燈籠」や「方星宿の手水鉢」など、この辺りの知識があれば禅寺の庭を眺めるのも楽しくなるだろう。
ちょうど昨日、レオ・レオーニ展を見てきたが、アート作品も知識を持って見た方がおもしろい。
ただ見るだけだと、ぼんやりしてしまう。
ただ、知識があるとそちらに引っ張られて、自分固有の感覚が失われる危険性もある。
たくさんの知識を自分に叩き込んだ後は、一旦白紙の心で作品を眺めた方がいいだろうとは思う。

其七

上人は十兵衛と源太のいずれに五重塔を任せるか迷う。
「九輪請花露盤宝珠」を調べると、五重塔の屋根から天に向かって突き出た金属の名称がわかる。
「因縁仮和合」は仏教の世界観を表す。

其八

いよいよ合格発表。
源太と十兵衛の両人が上人に呼び出される。
「この分別は汝たちの相談に任す、老僧は関わぬ」って、おい、予想外の展開、トップが決断しなくてどうする。
こういう人は良いが決断力のないトップは組織を滅ぼすよね。
周りが迷惑するよね。
なんだこの坊さんは、って思った。
さて、上人の意図は?

其九

決断力がないトップの話はだらだらと続く。
はっきり言わずにたとえ話をして、二人仲良くしろと忖度を求める上人の浅ましさを感じてしまう。
どこが徳のある僧侶なのかよ。
令和のサラリーマンだからそう感じるのか?
偉い人は、はっきりとした物言いをすべきだ。
こんなくだらないたとえ話でお茶を濁してはいけない。
禅僧としても二流ではないか。
ますます上人に対するイメージが悪くなった。
これでは、困るのは源太と十兵衛ではないか。

ここで投稿

まだまだ先は長いので、この辺りで投稿する。
イメージが悪くなった上人は、今後、どういう言動をとるのか、要注目である。

五重塔

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