ニューヨークタイムズの日本についての記事は割り引いて読む必要がありそうだ

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ニューヨークタイムズのこの記事をリッチ素子さんというニューヨークタイムズ東京支局長らしき人がツイートしていたりするが、このリッチ素子さんには注意が必要だ。
どうも日本が、5/5時点でもニューヨーク州のような事態にはならず、なんとか新型コロナウイルスの感染爆発を抑制できていることを、ただ運がよかっただけと言いたいようなのだ。
冒頭の記事は、総花的な記事で色んな国について書かれている。
要するに、ある国では感染爆発し、でも隣のある国では抑制できている理由がわからない、という話だ。
説は色々ある。
しかし、決定打はない。
ただ、それだけの無駄に長い記事だ。

Testing is woeful in many places, leading to vast underestimates of the virus’s progress, and deaths are almost certainly undercounted.

中でも、この一文なんか、検査が少ない地域では死者数もごまかされている、と読める。
また、特定の国を名指ししておらず、ここを引用して日本ではPCR検査を抑制して死者数をごまかしているという陰謀論に接続できそうな危うい文章だ

Still, the broad patterns are clear.

と、検査数が少なくても傾向はつかめると尾身先生が言っていることと同様な一文があるが、このニューヨークタイムズ記事を日本政府批判、安倍首相批判に利用する人は都合よく無視するだろう。

また、高齢化の要素は、イタリアについては説明可能だが、日本が例外となってしまう。
日本はなぜ感染拡大を抑制できている?
この記事は説明できていない。

There are notable exceptions to the demographic theory. Japan, with the world’s oldest average population, has recorded fewer than 520 deaths, although its caseload has risen with increased testing.

そして、リッチ素子氏は次の段落をピックアップする↓

Finally, most experts agree that there may be no single reason for some countries to be hit and others missed. The answer is likely to be some combination of the above factors, as well as one other mentioned by researchers: sheer luck.

要するに、運がよかっただけだ。
そして、なぜか安倍政権はすべての感染対策を間違えたが、運が良くて感染拡大を免れている、ということになる。
なんだそれ。
専門家が要素の一つとして運を持ち出すのは、要するに「わからない」ということだろう。
日本がなぜ感染拡大を抑制できているかはわからない、ということなのだ。
決して日本政府の対策が間違っているとは現時点では断言できないだろう。

元々は、Gearoid Reidy というブルームバーグbloombergの記者のツイートだった


ブルームバーグ記者のツイートはまっとうである。
どの国においても、単一の理由で感染拡大を抑制できたことを説明するのは注意が必要だ、という常識的なものである。
そのツイートに、Rochelle Koppという日本在住の経営学?の教授が冒頭のニューヨークタイムズの記事のリンクで返信している。
それは別にブルームバーグ記者の見解に反対したとかではなくて、まさにその論点をニューヨークタイムズの記事が示しているということを接続しただけである。
ちなみにブルームバーグ記者さんは、冒頭記事を読んでいなかったようだ。
そこになぜか横から、リッチ素子氏が絡んできたのが下記ツイートである↓
これ、要するに冒頭記事の一説のみ引用してきて、あたかも「忘れないでください、日本が感染拡大を抑制できたのは単なる運ですよ」と言いたいようなのだ。
それに対して、Kopp教授はフラットな対応をしている。
ちょっとリッチ素子氏のみが「異様」である。
冒頭記事は、決して日本がラッキーだった、という内容ではない。
それをリッチ素子氏は一節だけを抜き出してきて、印象操作しているように見えてならない。
そう思えるのは、今までの長年のリッチ素子氏の言動の結果だから、これもまた仕方ない。
要するに、結論としては、ニューヨークタイムズの日本についての記事は、割り引いて読む必要がありそうだ、という穏当なものである。