中途半端な逃走論の実践

浅田彰さんの『逃走論』という本は、1984年の出版。その2年後、1986年には早くもちくま文庫として文庫化されて、手に取りやすくなった。自分が持っているのは、1992年11刷。たぶん大学浪人中だった1993年に買ったと思う。

2017年の今、読み返していて、未だに有効だと思った。逃走、つまり「逃げる」というキーワード、今、自分はこの文章を家族から「逃げて」書いている。書いているのは駐車場の車の中。車種はホンダ・フリード、9年目。ドリンクホルダーに冷めたコーヒーを置いて、三列目でMacBook Airのキーボードを叩いている。GWの鹿児島は曇っていて、エンジンをかけていない車内でも暑くない。子どもたちは、宿題をしていたり、『となりのトトロ』を見ている。妻は仕事に行く準備をしているか、スマホTwitterをしている。その家から、駐車場の車内でちょっとだけ逃げているわけだ。この程度で「逃走」と言えるのかどうか。その中途半端な逃走が、この文章のポイントになる。
真の逃走と言えば、困難な現状からの逃走反応としてのうつ病や分裂病といった精神疾患がある。あるいは、家出するとか、浮気して家庭を顧みないとか、そういった逃走もある。『逃走論』には、そういった逃走を肯定的に描いている面もある。しかし、本当に精神疾患に陥ったり、不倫でドロドロな人間関係を構築してしまっては意味が無いので、その一歩手前で踏みとどまるような知の在り方を提示していると勝手に理解している。
その文脈においての半端な逃走となる。うつ病になったり、不倫したりするより、駐車場の車に逃げる程度であれば、まったく問題無いだろう。このブログのタイトルにある「シリアルポップ」というのは、その程度の軽さを志向している。

42歳となり、妻にとっては魅力的な男では無くなっている。韓国ドラマに連戦連敗。妻は、家事育児以外の時間は韓国ドラマを見るか、スマホTwitterしているか、という状態で、旦那にはほとんど関心が無い。無関心に対して、何とか努力しようとする試みは心が折れる。無関心に対しては無関心で対抗しないと辛い。だったら、逃げればいいじゃんと。とはいえ、家出したり、浮気したりすることもできない。辛い時にちょっと車に逃げることで救われるのであれば、それでいいじゃないか。ここで、思うのは、糸井重里さんが40歳ぐらいの危機の時期に出会った釣りのような趣味といったものが自分にあれば、そちらに集中するという方法もあるだろう。しかし、今の自分には趣味がまったく無い。家族から離れて熱中できる何かが欠けているのだ。それが見つかるまでは、何とか精神的な危機をやり過ごすしかない。40歳前後は、サブカル鬱に気をつけた方がいいらしい。自分は1990年代に、それこそ浅田彰さんのようなニューアカに影響を受けて、音楽、現代思想など急速にサブカルチャーに傾倒して20代前半を過ごしたので、42歳の今はそのサブカル鬱の危機の只中にいる。そこから逃走すること。ちょっとした時間、自分に無関心な妻、これは自分が未だに妻に執着しているから辛いのだろうが、子どもたちから逃げること。その程度の逃走で危機をやり過ごすことができるのなら、安いものだ。
仕事においても、この中途半端な逃走を最近実践している。神経に障るキーボードの音、独り言、などから逃げて、空いている会議室にこもる。そして、集中して資料を読む。そういった仕事のやり方をしている。仕事を辞めるとか、本気の逃走ではない。問題にならない程度の逃走。それで仕事の成果を出していれば問題無い。そもそも、些細な物音が気になる、というのは精神疾患の一歩手前の症状のような気もする。気をつけよう。まあ、ちょっと自分の席を離れる程度で何とかやり過ごせるのであれば、いいではないか。

ちょっと話が戻るが、家入明子さん、もう柴原明子さんって書いた方がいいのかな?が、セックスレスの問題に関して、妻に対して夫の方が諦めないで、というアドバイスをされていたが、それって辛いのよね。拒否されても拒否されても、その度に、浅田彰さんが描くようなニーチェの超人のように忘却力を発揮して、心に膿を作らず、再度アタックする粘り強さ、最近流行りの言葉で言えば、GRIT、そういう性質ってなかなか身につけるのは大変だ。マッチョになる必要がある。その前に心が折れてしまう。そうやって心が折れそうなタイミングで、バーで失恋した魅力的な女性が自分に関心をもってくれたら浮気の可能性だって高まるだろう。家庭と天秤にかけて冷静に判断するような話ではないのだ。あるいは、職場においては、同僚の女性は夫の仕事ぶりを見ている。そこでアピールできることもあるだろう。一方、妻はサラリーマンの夫の仕事ぶりを見る機会はほとんど無い。妻にとって夫のかっこよさを認識する機会は少ないのだ。その違いもあり、そこから不倫のようなめんどくさい状況が生まれる。自分の場合、めんどくさいというキーワードでの面倒力がすぐに起動するので、おそらく不倫や浮気に走る可能性は低いだろう。それにしても、何度も何度も拒否されてもジョーのように立ち上がってアタックするのは魂を削る行為なのだよなあ。その粘り強さを回復するためにも、やはり中途半端な逃走が一つの処方箋として有効ではないかと考えて、とりあえずの結論とする。

中途半端な逃走によって、仕事でも家庭でも、現実のこの場に踏みとどまることが自分の戦いの場所なのである。

akizukid.hatenablog.com


逃走論―スキゾ・キッズの冒険 (ちくま文庫)

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