水村美苗「日本語が亡びるとき」を読みながら

水村美苗日本語が亡びるとき」を読んだ。
水村さんについては、「続明暗」「私小説 from left to right」を読んでいる。
以下、そのメモ。レバレッジメモじゃないのは、原稿用紙に気が向いた時だけ書いたものだから。

IWP=International Writing Programに参加したいと思った。一方で、水村さんと同様に七面倒くさいなとも思う。

  • アイオワ大学創作学科(IWW=Iowa Writer's Workshop)

IWPには中上健次も参加したことあるらしい。アメリカについて書いたエッセイ集があったが、そこにあったかな?
両腕肩の筋肉痛の中で書いている。原稿用紙にプラマンで書いている。「日本語が亡びるとき」を読みながら、飽きたら本を閉じて書く。あるいは何か思いついたら書く。
Nちゃんがウンチしてオムツを替えた。Kくんはソファで昼寝中。妻はTSUTAYAにDVDを借りに行っている*1ユビキタス・キャプチャーとして書いてみる。水村さんの本とは関係のないところで、しかし、僕はこの中で読んでいる。今日3月14日、鹿児島は真冬の寒さで桜島の頂上付近には一部雪が積もっている。しかし、真冬といっても10℃を少し切る程度だ*2。正直、この記述が<読まれるべき言葉>とは思えない。
<自分たちの言葉>と<普遍語>としての英語。僕は英語では書かない/書けないだろう。でも、チャンポンはいいと思っている。

 ノーベル文学賞の闇の部分は、その政治性を別にしても、翻訳という、文学にとってもっとも根本的な問題を真剣に考えていないことにある。(P.102)

 くり返すが、<叡知を求める>という行為は、究極的には、目的を問わずに、人間が人間であるがゆえの行為にほかならないからである。(P.187)

機動戦士ガンダム00」の世界は、英語だろうか。シーズン1でフェルトだったか手紙が日本語だったような、しかし、あれは日本の視聴者向けの表現かな?
途中から見事な夏目漱石論となっている。

  • Kevin Kelly,"Scan This Book!"2006.

英語で書くこともマジで考える必要がある。それで昨日のような試みになるのだが、、、

 遺憾ながら、危機感の不足と、勇気のなさと、頭の悪さから、無策という策である。(P.268)

文部科学省って何を考えているんだろうね。頭のいい人が集まるだけでは駄目なんだろう。色々志ある人材はいるんだろうけれど、その官僚が力を発揮する仕組み・システム・組織になっていないと思われる。一方、水村さんの批判は組織で生きていない文学者の意見でしかないので、官僚の人たちは、そうですねおっしゃる通りですと一応拝聴しておいて、後は自分がやるべきことをやればいい。
<読まれるべき言葉>
文部科学省で働いている人は「日本語が亡びるとき」を読むべきだ。省庁の問題は「顔」が無いことだと思う。

福沢諭吉を読もうと思った。
あと水村さんは、こんな本を書くだけで「政治」的に何かをやろうという気はないだろう。それじゃあつまらない。それじゃあ悪い意味での「評論家」に止まってしまう。文学者の役割は評論家であって、何かをするのは政治家にまかせておけばいいのだろうか。
この本自体、dankogaiさんの絶賛などもあり、近代日本文学などに興味のなかった読者も巻き込んでいるようだが、誰かが実際に動かないことには無意味だ。福沢諭吉大隈重信岩崎弥太郎に手紙を書いたりして働きかけていたようだ。
ひるがえってじゃあおまえはどうなんだ?

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

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*1:蒲田行進曲」を借りてきた

*2:ちなみにこの文章をザウルスSL-C1000で打ち込んでいる3月20日は夏日となっている