新型コロナウイルスに対して野家啓一『科学哲学への招待』

新型コロナウイルス騒動について考えていたら、ちょうど読んでいた野家啓一さんの『科学哲学への招待』が接続した。

たとえば、国民の多くが専門家の言葉を信用せず、ワイドショーが起用する「専門家?」の言葉を信じてしまうのは、東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故以降の「信頼の危機」が根深いのではないかと感じた。
国民の多くが、政治だけではなく、政策に根拠を与える科学にも不信を持っているのではないか。
このような状況で、専門家が科学的に「希望者全員のPCR検査は不要」と何度説明しても、国民は納得しない。
もはや理解しようという姿勢が不信により失われてしまっているように見える。

また、本書で、

しかし、「科学的合理性」と「社会的合理性」とはしばしば食い違い、必ずしも一致しないことが多い。2658

と書かれていた部分は、自分が新型コロナウイルス騒動で考えている「理解と納得」のズレと接続した。
科学的合理性が理解であり、社会的合理性は納得なのである。
そして、政治家は前者より後者を見ながら動く。
それがまた安倍政権の迷走を感じさせる結果になっている。
科学的合理性を理解して政策を動かし、それを国民に対してわかりやすい言葉で説明し納得させるのが政治家の仕事だろうが、安倍首相の3月1日の記者会見でもそれは成功していない気がする。
ちなみに2月28日のビル・ゲイツの言葉はわかりやすく、勇気づけられた。
平易な英文だし、Google翻訳にパラグラフ単位でコピペして読めば簡単に理解できるのでおすすめだ。

しかし、野家啓一さんの本を読んでいると、単純に「理解と納得」の対立ではないなあと考えさせられる。
その両者を分けることができない時代なのだ。
ここでは、リスクコミュニケーションが大事になってくる気がする。
専門家と一般人とのコミュニケーション。
政治家のアナウンス。
安倍首相はどうにも国民に対するコミュニケーションが下手くそで、平時はアベノミクスに支えられてそれでも良かったが、COVID-19の危機管理上はリーダーとして不十分だ。

本書は、2011年の東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故を踏まえて加筆されている。
そして、2020年の新型コロナウイルス騒動を見ても、本書がよく理解できてくる。
コトはそれほど単純ではない。
科学者(専門家)と市民の分断が、科学史の中でどう位置付けられるかもよくわかった。
今読むのに良い本だと思う。
少なくともTwitterを見るより、役に立つ。

科学哲学への招待 (ちくま学芸文庫)

科学哲学への招待 (ちくま学芸文庫)