自分をアホと認識

町田康『しらふで生きる』をアルコールをたしなみながら読んだ。
前半、ちょっと同工異曲の内容が続いて停滞したが、途中からビジネス書のように役立つ記述が増えてきた。
実は、お酒を止めたいと本書を手にとっても、なんでかよくわからんが、自分はお酒を飲むのを止めたと書いてあるだけなので役に立たない。
本書の大きなポイントは「自分を普通以下のアホ、と認識改造」することだと思う。
これはTwitterをやるうえで重要な姿勢だと感じた。
Twitterをやっている時は、全能感というか、俺は頭がよい錯覚に陥って、偉い人にも対等につっこんでいく、といった無謀なツイートをつい脊髄反射でやってしまう。
Twitterは偉い人もそうでない人もすべて同じフィールドに乗せているってところに特徴があるからだ。
これ、サッカーだとメッシと同じフィールドでサッカーをすることはほぼ不可能だし、仮に同じフィールドでやれたとしても、メッシは手を抜く。
ところが、Twitterだと下手なツイートすると、プロからボコボコにされて強いショックを受けたりもする。
非常に怖いフィールドなのだ。
さて、町田康さんが断酒について「自分を普通以下のアホ」だと認識しておけば、怒りを抑えたり色々メリットがあるだろうと書いている。
先日、福岡地下鉄でマスクせずに咳をしていた乗客に腹を立てて緊急停止ボタンを押した老人は、自分を偉いと思っているから「目上の者に対する口の利き方か」といった台詞が出てくるのだ。
そんな認識はTwitterをやるうえで役に立つ。
自分はアホだから、脊髄反射ツイートでよくミスをする。
それを指摘されたら、あ!なるほど、そういうことか、俺はアホなのでわからんかった、指摘してくれてありがとう、という謙虚な気持ちになれて、精神衛生上もよいのだ。
注意しなければならないのは、自分をアホだと認識できる俺って偉いという傲慢なメタ認識に陥らないことだ。
そうなると、Twitterでも、自分をアホだと認識できる偉い俺にクソリプとかお前何様だ!という傲慢さが爆発してしまい、クソリプの応酬合戦が始まってしまうだろう。
それは不毛だ。
その他にも、しらふで生きるでは、他人と自分を比較してはいけないとか、幸福は束の間のものであるとか、人生論のような役に立つ記述が多くて、ビジネス書のように機能するのだ。
文体は町田康だけど。
だから、本書はお酒を止めたい人にはそれほど役に立たず、Twitterをやっていて苛々しがちな人に役に立つ気がした。
『しらふでツイートする』ということだ。

しらふで生きる 大酒飲みの決断

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