メモしないで考える

森博嗣『集中力はいらない』で、言葉にすると失われるものがあるからメモをしない、ということが書いてあった。
以前も同じようなことを言っていた人がいて、たぶんEvernoteにクリップしている。
自分のEvernoteには「memo:メモ術」というタグを作っているくらい、メモについては興味がある。
自分はどちらかと言うと、手書きでもデジタルでも大量にメモをする方だから、森さんのような意見に惹かれる。
ちょうど右腕が腱鞘炎っぽいので、メモをしないで考える、ということを試してもいいかもしれない。
メモのしすぎだと自覚している。
山本大さんの、メモは3点に絞れなども参考になる↓
daiyamamoto.hatenablog.com

頭の中にぼんやりとしたイメージを置いて、安易に言語化せずに考える。
あるいは、ポケットのブロックメモ(ニーモシネ)に短いキーワードだけを書き込んで、それについて考えながら通勤する、歩くというのもいい。
散歩やウォーキングは、思索と相性がいい。
思いついたことは、立ち止まってやはりキーワードのみをメモしておく。
そして、再び歩き始めるのだ。
そんなタイミングでミシェル・フーコーのhupomnemataヒュポムネーマタという概念を知った。
覚え書きと訳されていたが、メモランダムでもいいかも。
とにかくメモすることが自己を構成するのに重要だ、という概念だ。
メモしないで考える、という姿勢も一種のヒュポムネーマタのような気がする。
メモしようが、メモしまいが、どっちだっていい。
その人にフィットするスタイルがあるのだろう。
だから、自分のスタイルは自分で選択したり、発明しないといけないのだ。