日常~ネヴィル・シュート『渚にて』

私は直接は知らないが、ゲオルグ・ゲオルギウって人の言葉で

もし世界の終わりが明日だとしても私は今日林檎の種子をまくだろう。

というのがある。
調べてみると、自分はおそらく寺山修司の本でその言葉をインプットした。
さらに、実は寺山修司が「デマ」を広めていたことがわかった。
同じルーマニア人だが、革命家のゲオルグ・ゲオルギウではなく、コンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウという作家がマルチン・ルターの言葉として引用しているのが正確らしいのだ。
下記サイトに詳しい↓
ゲオルギウの言葉
ルターの一次資料まで到達できるだろうか?

それはそれとして、ネヴィル・シュート『渚にて』を読みながら思い出したのが冒頭の言葉だ。
世界の終わりが迫っていても、人々は畑を耕したり、タイピングを学んだり、日常生活を営んでいる。
中には無謀なカーレースをするなど自殺的な行為に走る人もいるが、ほとんどの市民は「パンを焼きながら」(チバユウスケ)世界の終わりを待っているのだ。
そこが印象的だ。
世界の終わりが確実でも変わらない程度に人の日常生活は強力なのだろう。
絶望的な世界において『渚にて』のラストがどうなるかは読んだ人のお楽しみだ。
Twitterはネタバレする人がいるので検索しない方がいい。

渚にて 人類最後の日 (創元SF文庫)

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