義理と人情

2019年においても義理と人情は重要だ。
見城徹さんが評価する経営者であるサイバーエージェント藤田晋さんも義理と人情はしっかりと抑えているように見える。
見城さんは『たった一人の熱狂』で「仁義に厚い」と評している。
一方で穏やかで慌てたところを見せない、という。
丸でクライムムービーのラスボスではないか。
今ちょうど韓国ドラマの「ボイス」ってのを見ているが、藤田さんがあんな感じだったとしても納得できそうだ。
たとえば堀江貴文さんが失敗して、三木谷浩史さんが経済界で生き延びているのも義理と人情、その辺りをしっかり抑えたからではないか。
そんなわけで、IT企業であっても、今でも上の方は義理と人情が生きているのだろう。
ただ、義理と人情が怖いのは、それをふまえない人を残酷に排除するところだ。
その辺りはヤンキー的な世界観を感じる。
トライブな世界だ。
そんなわけで、自分は義理と人情を重要な要素だとは思いつつ、仕事においては、義理と人情を無視してフラットに進めたい。
時々、義理と人情が入り込むのは仕方ないとして、仕事そのものにわざわざ義理と人情を持ち込む人がいてめんどくさい。
仕事というコトは、フラットに割り切ってやりたいといつも思っている。

そんな折、正月休みの深夜映画でコッポラの『ゴッドファーザー』を見た。
このマフィアの世界も、義理と人情の世界だった。
いわゆるファミリー「家族」の世界だ。
やはり義理と人情は、暴力と親和性が高そうだ。
そこはまた、自分が受け付けない要素だ。

ちょうどたまたま岡田武史さんの記事を読んでいたら、サッカーの監督をしている時に選手と飲みに行かないし、仲人もしないとおっしゃっていた。
選手と飲むとクビにできないし、仲人をして奥さんを知ってしまうとやっぱりクビにできない。
要するに、仕事に義理と人情を持ち込まないように注意している。
これって、ゴッドファーザーの世界と真逆だよね。
自分は、岡田さんの考え方の方に共感する。
見城さんの言葉が自分を発憤させるのとはレベルが違う。
見城さんの言葉を読んで自分に気合いを入れながら、仕事のやり方においては岡田さんのようにやる。
そういうことだ。

安倍政権がヤンキー体質だという批判があった。
これも見城さんが言う安倍晋三さんが義理人情を大切にする政治家だ、という評価と両立する。
いわゆるヤンキーほど義理人情を大切にするからだ。
そして、ヤンキーは仲間=ファミリーを大事にする反面、仲間以外には厳しくなる傾向もある。
これは安倍政権批判というより、安倍政権そういう性格だということである。
その中でどう自分の姿勢をとるかは、それぞれの美学だろう。

義理と人情は大切だが、深入りしたくない。

たった一人の熱狂 (幻冬舎文庫)

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