私は運動会を楽しめない

運動会は楽しめない。
いや、運動会だけじゃなく子どもの学校行事のほぼすべて楽しめない。
それを認めないと前に進めない気がした。
よし認めよう。
今までは、子どもの成長を見られる学校行事を楽しめない親なんてひどい、という価値観を無理に内面化してごまかしてきた。
そのごまかしがストレスの源になっていた。
毎回、作り笑顔でビデオカメラとか撮影していた。
しかし、すべてめんどくさかった。
ただただめんどくさいのである。
それを子どもへの愛情が足りない、と誰かが言うのであれば、それで構わない。
認めたら、どんな世界だろうか。
私はイベントに価値を置かないようだ。
非日常を必要としていない。

最近の学校は行事が多すぎると思う。
子どもが三人いると毎週運動会とかになって大変なのである。
少子化でひとりっ子前提に行事を組んでいないか?
行事を減らせば先生たちも楽になる。
私も日常生活が増えてうれしいのである。

しかし、経験している時は楽しめなくても、後から思い返すと楽しいということはある。
それは、ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』にあった「二つの自己」という概念だ。
経験する自己と記憶する自己。
学校行事中はめんどくさい、でも記憶では楽しい。
そういうことは色々ある。
そういうものだと期待して、その場は一生懸命100%没入することが後からの充実感に関わってくる気がする。
どうせやるなら、踊らにゃ損損。