職場で共通のゴミ箱があると二種類の人に分かれる。ゴミを捨てる人と捨てない人だ。前者は、たまたま自分が捨てようとした時にゴミ箱がいっぱいだったとすると袋を縛って所定の場所に捨てる人だ。そして、新しいゴミ袋をセットして、自分の仕事に戻る。後者は、自分のゴミをゴミでいっぱいの箱にぎゅーっと押し込んで、自分の仕事に戻る人だ。
おまえはどっちなんだ?
そういう時は、天を意識して動いていた西郷隆盛のことを考える。そうすると、前者でいこうと思うのだ。来年の大河ドラマで、西郷さんの「天」についてどのような解釈で描かれるのか興味がある。特定の宗教を信仰したというより、様々な宗教から学んだ抽象的な「天」という概念が西郷さんの内面にあったのではないか、と勝手に想像している。
自分の場合、桜島を見ると、信仰について考える。中学生の時、軟式テニスの試合で、そのテニスコートからは桜島が見え、サーブを打つ時に桜島に祈りながら集中していた。特定の宗教ではなく、自然や天に対する信仰心のようなものは自分の中にも構築されているようだ。
一方で人格を持った神を否定する無神論的な思考もある。具体的な神ではなく、抽象的な天。既製品ではない、独自の信仰。そういったあり方でもいいのではないかと思う。