続いていること

なんだかんだで Twitter は止められない。ずっと続けている。また、ブログも長年続いている。続いていること、というのは自分に合っているのだろう。どちらも言葉中心だ。
言葉といえば、コンパクトなノートに言葉を書き付けるのも続いている。一方、手帳は毎年変わっていて、なかなか同じ手帳が続かない。ほぼ日手帳WEEKS が3年続いた。それが最長ではないか。今年2017年は、ジブン手帳mini に初めて手を出して、最初は調子良かったが、Bullet Journal に浮気してからは、あまり使わなくなった。愛人宅に入り浸り状態。すでに Bullet Journal の方が本命となっている。現在は、測量野帳で Bullet Journal を実践している。測量野帳は、コクヨさんからいただいた金の野帳、銀の野帳、あるいはセブンイレブンで買える Loft野帳など、様々なバリエーションでもう何冊も続いている。一方で、モレスキンは最近使っていない。紙質とコストのバランスが悪いからだ。ミニオンズ限定版モレスキンをみつけたが、値段が高すぎる。最近のモレスキンは商売に走りすぎで好きではない。

相手があること

妻と情を交わすこと。出会って、もう22年になる。何度、交わしたことだろう。それでも飽きない。今でも、週一ぐらいで抱きたくなる。体に欲情する。意馬心猿。ところが、妻の方はそうでもない。そのギャップに今、苦しんでいる。風俗に行ったり、自分でなんとかする、では代替にはならない。この続いていることについては、諦めた方がいいのだろう。でも、諦めきれない。まだまだ。心を折らずにアタックする。続ける意思はある。GRIT.
妻が妻となる前の恋愛は、それなりに激しく情熱的だったと自分では思っている。しかし、夫婦となり、関係を続けていくには激しい情念より、フラットで落ち着いた感情を丁寧に手入れしていくことが必要だろう。ベニシアさんの庭仕事のようなもの。
自分が魅力的になれればいいのだけれど。

日記

高校生の頃から大学ノートに日記をつける習慣が続いている。自宅浪人時代に時間をもてあましたせいか、たくさん書くようになった。時々、読み返すと興味深い。自分が他人のようでもある。感情が書いてあるより、具体的な描写があった方が後からはおもしろい。一時期、モノとしてのノートが増えていくことにうんざりしたが、今はまあノートぐらい数十冊あってもいいではないかと思っている。一方で、ポメラ日記を初め、Evernote への投稿など、デジタルで記録を残すことも増えたので、トータルで紙への記録は減っていると思う。

ポケモンGO

ポケモンGO も続いている。1年以上になるか。通勤やオフィス@マックでの気晴らしに。レイドバトルが始まって、アプリは重たくなり、起動も遅くなった。クソゲーだが、止めていない。続いているということは楽しんでいるということなのだ。

楽しくなければ

楽しくなければ続かない。無理に続けてもストレスとなり、自らの心と体をむしばむ。だから、何でも、できる限り楽しくやれるようにする。仕事もやらなければいけないのであれば、強引にでも楽しめばいい。そこに工夫がある。ライフハックやシゴタノとはそういうことではないか。

とりあえずの結論

続いていることは、自分に合っている。その基準で自分を作っていけばいいのだろう。それが40歳代の不惑。加えて、糸井重里さんにとっての釣りのような新しい「続いていること」を早急に見つける必要も感じている。それが無いと中年期の危機、あるいはサブカル鬱を乗り越えきれない気がしている。時々、やばい。楽しんで続けることができる何か見つかるまでは、ひたすら書くことで乗り切る。そのためにポメラDM200 を買ったようなものだ。「バフェットのように読み、レヴィ=ストロースのように書くこと」それが今のモットーである。