友人のカトリック結婚式に出席したよ

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昔のまま

先日、友人の結婚式に出席してきた。

友人は女性、だから新婦。大学時代の同級生。大学に入学する前の予備校、代々木ゼミナール熊本校(代ゼミ)でも一緒だった。予備校時代は親しくなかった。大学を卒業し、モラトリアム的に進んだ大学院を修了するのに就職ができなかった自分に大学図書館の非常勤職員を紹介してくれた。妻とのキューピット役もつとめてくれた。それは自分が勝手にそう思っているだけだが。

結婚願望がありそうには見えなかったが、結婚となった。招待されたが、それは披露宴ではなくて、教会での結婚式だった。カトリックとは聞いたことが無かった。もう一人、やはり同じ教会で結婚式を挙げた男の友人がいる。まあ、みんな普段付き合っていてそういう宗教のことは出てこない。

九州新幹線で鹿児島から熊本へ一人旅。近くなったとはいえ、遠い。熊本駅で降りて路面電車に乗り換えて教会のある中心街へ向かう。車内から見た代ゼミはもう存在していなかった。ビルは何に利用されるのだろう。代ゼミに通った1994年は友人に出会った年でもあるし、色々と重要な1年だった。その代ゼミが無くなった。
式まで時間に余裕があったので、手前の辛島町電停で降りた。サンロード新市街から下通を歩くことにした。小雨が降ってもアーケードで濡れない。岩田屋伊勢丹のビルはとっくに消えていた。交通センタービルも取り壊し中なのか、シートがかかっていた。頭の中を「センタープラザの歌」が流れる。街の様子は変わったが変わらないものもあった。

センタープラザの歌 2010-2011冬

映画館の電気館とそのビル1階のフレッシュネスバーガーは見た目昔のままだった。インスタグラムにおさめる。
サンロード新市街アーケードから直角に交わる下通アーケードに対して、斜めに走る小道がある。その狭い道が好きでそちらに曲がった。その出口辺りに橙書店という小さい本屋があった。まだ開店していない。その店頭に、熊本市現代美術館のポスターが貼ってあった。「川内倫子展」驚いた。

川内倫子さんは、僕が好きな写真家さん。自分の結婚披露宴の時に編集したCDのジャケットに想定した。その写真は『うたたね』の一枚。シャボン玉を吹く女性。雑誌『クウネル』創刊号でも印象的な写真が雑誌を飾っている。
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今回は、披露宴ではなく結婚式のみということで、式の後はフリーの時間ができる予定だった。熊本市現代美術館は教会のすぐ近く。その展覧会には行こうと思った。

今は無きポレエルや紀伊國屋書店の前を通った。そして、下通にあった特別な場所「オケマツ」も無くなったことを自分の目で確認した。無かったことを確認というのもおかしいが、確かに存在しなかった。自分は畏れ多くて一度もその店に入ったことは無かった。いつも通るたびに存在を確認するだけだった。その日結婚する友人はオケマツでまな板を買ったと以前話していた。

もうこの街は自分の街ではないと感じた。しかし、変わらないものも多い。パルコ前では相変わらず球のオブジェが水の力でくるくる回ってた。スマホの時代に若者はパルコ前では待ち合わせしないのだろう。
通町筋のスクランブル交差点を渡って、カトリック手取教会前に着いたが、まだ早すぎた。そこで通過して鳥居を左に曲がった。神社がある。その神社も思い出深い。学問の神様らしいが、僕は二浪した。参拝した。そこから上通へ回った。上通アーケードが切れたところにあったレコード屋はもう無くなっているようだった。小雨が降っていることもあり、そこで折り返した。

教会の控室に入って式を待った。上記の大学図書館で一緒に働いた友人が結婚式出席のために来た。長女を連れていた。ママになっていた。
式の時間になり、聖堂を案内された。入口でウェディングドレスの友人と挨拶を交わした。「結婚おめでとう」言うことはそれくらいだ。新婦側の後方の席に一人座った。

1995年にとぶ。大学に入学して僕はすぐに一人の女性を一目惚れのように好きになった。その女性にアタックをしていた頃、7月だったと思う、入学した日本語日本文学科で全学年と教員を交えた歓迎会があった。僕はアタック中の彼女と二人で自転車で街にある会場まで来ていた。そして会場で今回結婚式を挙げた友人と合流した。予備校時代に顔は通っていたから声をかけられたのだった。友人は一人で来ていた。歓迎会はその三人で座った。楽しく時間を過ごした後、会場の外で三人で立ち話をした。友人は僕が彼女にアタックしていることはおそらく知らなかった。そこで友人が言った言葉を今でも覚えている。
「アッキーは、おもしろいんだけど、恋愛対象にはならないんだよねえ」と言った。その言葉を聞いて、僕がアタックしていた彼女は笑い崩れた。それでかえって僕は気負いが無くなった気がする。ああ、やっぱり恋愛対象としての色気が足りないんだなあと、だから、背伸びしたって無駄だ、そのままの自分で自然体で行こう。当時は恋をしていてそこまで言語化できてはいなかったはずだが、その後、僕はその彼女と付き合うことになった。そして今の妻となったことに友人のその言葉は大きく貢献したと勝手に思っている。それでキューピット役もつとめてくれたと初めに書いた。感謝こめて。

ちなみに僕のことを「アッキー」と呼ぶ女性は特別な存在で、もう一人、今回結婚した友人の親友も僕のことをアッキーと呼ぶ。彼女は、歩き始めた息子を連れて来ていた。ママになっていた。先に書いた図書館の同僚の女性も僕をアッキーと呼ぶ。アッキーと呼ばれるのも久しぶりで一気に15年前に気持ちが引っ張られた。

式はがっつりとカトリックで1時間ほど。聖堂内でスマホでの写真撮影は気が引けるよね。式の後、外に出て、写真撮影。男性が少ないので遠慮していたら、アッキーと呼ばれたので加わった。遠慮するような若さでは無いだろうと思う。しばらく写真を撮ったり、友人とも言葉を交わすことができたりして、お祝いは渡さなかったが友人からは昼食代をもらった。さて、どうしよう。
頃合いを見て、そっと教会から離脱した。いつもそう。たとえば飲み会でも一次会の後に、早めにそっと消えるのが好きだ。そして、川内倫子さんの写真を見に行った。その話は別に書こうと思う。

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うたたね

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