僕を引きこもりからリア充へ導いてくれた2つのきっかけについて語ろう

時々書いたりツイートしたりしていますが、僕は大学入学に2浪しています。今は定職があり結婚して子どもも二人いるというリア充扱いです。そうなったのには多分に運が関係しています。僕はラッキーでした。そのラッキーのきっかけとなった2つのことについて書いてみようと思った次第です。

  1. 図書館通い
  2. 代々木ゼミナール

図書館通い

僕は高校は地元の進学校に通っていました。大学受験は失敗して、その時の考えや気分は忘れてしまいましたが自らの選択で自宅浪人を決めました。
自宅浪人で勉強できたかというと、正直できませんでした。結果2浪することになるのですが、一つだけよい習慣ができました。それが図書館通いです。
自宅浪人だと時間はたくさんあります。しかし、アルバイトしているわけでもないのでお金はありません。暇潰しのように通ったのが図書館でした。なんてったって只です。時間を潰す本はたくさんあります。机と椅子もありますし、家族の手前、勉強しに行くという理由も立ちました。
今でも憶えています。ある2冊の本を一緒に借りました。気分を軽くするためのエッセイみたいものを読みたかったのでしょう。それまでは紫門ふみや中野翠椎名誠などを読んでいたのですが、その2冊で方向性がぐるりと変わりました。

本当に何の予備知識も無くこの2冊のエッセイ?を同時に借りました。
そこから僕の現代文学や浅田彰中沢新一へとつながる現代思想への道が始まったようなものです。そのことが次のきっかけにつながったと今では思います。
高橋源一郎の本は装丁の絵が確か松苗あけみのイラストだったと思います。そして、島田雅彦は僕が作家になりたいと思っていたから借りたんだと。

後から振り返って、点が線につながったというわけですね。こんなことを確かスティーブ・ジョブズが言っていた気がします。それより前にコーネリアスが歌詞の中で書いている気もします。……調べたら、「ROCK 96」の歌詞でした。気になる人は検索してみてください。歌詞を引用するのは色々うるさそうですから。

思い出した!大学の合格発表があり2浪が決まったその日に明林堂書店で衝動買いしたコーネリアスのCDも何かのきっかけだった。それはしかし他の機会に書くかな。

代々木ゼミナール

そういうわけで僕は自宅浪人では勉強ができずに次の年の受験も失敗しました。2浪です。このまま行けば引きこもりになったかもしれません。その時、父が予備校に行かせてくれました。駅前にある代々木ゼミナールです。
何となく代ゼミを選びました。父は予備校の学費を現金でおろして僕に渡し、僕はそれを自分の手で代ゼミに納めました。100万円近かったような気がします。父にも母にも悪い気がしましたが、この経験は非常によかった。このブログは両親も読んでいるので書くのがためらわれるのですが、感謝しているところです。
なんというか、

  • 親は適切な時期に適切なタイミングで子どもにお金を渡せるか

というのが重要な教育の一つだと今では子ども二人の親として思っています。

正直代ゼミは遠かった。僕はママチャリで毎日駅前の予備校まで通っていたわけです。片道1時間くらいだったでしょうか。毎日通いました。ニュースカイホテル前辺りの白川河川敷を通ると今でも脳内に橘いずみの「永遠のパズル」が流れてきて切なくなります。本当に孤独でしたから。
しかし、代ゼミは楽しかった。環境もよかったんですが、なんと言っても講師陣が僕に与えた影響は大きかった。
今思い出すのは、4人。国語の菅野先生、古文の木山先生、英語の川崎先生、数学?の名前を思い出せないお見合いテレビ番組「ウェディングベル」に出た女性の先生。うろ覚えなので名前とか違ったらごめんなさい。
どの先生も共通して言えることは、受験のテクニック以上に別のことを教わった気がします。

菅野先生は、巨漢でした。竹村健一を「LOST」のハーリーみたいに太らせた感じ。体格うに見合った圧倒的な知識は豊富、でも厳しくて僕も何度か怒られました。怒られて授業に出なくなる予備校生もいました。僕は最前列で聞いていました。なんと言っても現代思想が受験に使えて、かつおもしろい。受験だけではなく、世界を理解するのに使えるんだと教えてくれました。高橋源一郎島田雅彦からニューアカに片足つっこんでいた僕をその先へと導いてくれた気がします。

木山先生は、確かキリスト教徒だったかと思います。カトリックプロテスタントかその他か宗派などはわかりません。宗教の話はほとんどされませんでした。飄々とした佇まいが印象的で一般的には菅野先生などと比べると優しい先生に分類されたかと思いますが、目が笑っていなかった記憶があります。具体的に何を学んだかはっきりと言語化できないのですが、生きるスタイルのようなものを学んだようです。

川崎先生は、京都大学の哲学科出身だったと思います。授業は遅々として進まず、脱線も多かった。髪は茂木健一郎みたいで、逆に今顔を思い出そうとすると茂木さんしか出てきません。唯一講師室まで訪ねていって、人生について恥ずかしい質問をした記憶があります。若かったんですね。授業中にマイクを切って話をするのがおもしろかった。代ゼミは今はどうか知りませんが、講師の首にマイクを下げさせてその内容をチェックしていたようなんですね。そのマイクを切っておもしろい話をされていた。もちろん代ゼミ側はマイクを切られたことはわかるんでしょうが、そんな先生を許容していたんですね。その度量は代ゼミをおもしろくしていたと思います。

最後の女性の先生は残念ながら名前を思い出せません。美人というか色気のある大人の女性という印象でした。個人的にファンでした。当時、徳光さんが司会をしていた「ウェディングベル」というお見合い番組に出て、大事なのは「体の相性」と言ってカップルになった気がしますがその後どうなったんでしょうか。何を学んだのかはよくわかりません。

そんな一見、受験には無駄と思える知識やスタイルを代ゼミの講師たちから学んで、なぜか成績もよくなったんですね。特にセンター試験と僕は相性がよかったらしく、センター試験模試では全国のトップクラスに入って名前がリストに載った記憶があります。そのリストの常連でいつも志望校を「帯広畜産大学」とか書いていた人がその後どうしたか興味があります。

そういうわけで阪神大震災数日前のセンター試験本番でも700点を軽く超える点数を稼いで、センターのみで受験できた大学の文学部に余裕で進学するのですが、そこで今の妻と出会ったわけです。もし現役で大学に進学していたら、その時はまだ共学になっていない女子大学だったこともあり、別の大学に進んだ僕と妻は出会うことは無かったと思います。今から思うと2浪してよかった。そんなこと言うと心配をかけた両親や妹には申し訳無いですが、人生そんなもんだから仕方ありません。

図書館に通って読書する習慣と予備校で得たスタイルを元手として大学ではリア充シリアルポップなキャンパスライフを送ることになるんですが、一気にここまで書いて疲れたのでここでアップしますね。

文学じゃないかもしれない症候群

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