保坂和志「コーリング」「残響」を読んだよ〜あなたが誰かのことを考えているとき、別の誰かがあなたのことを考えている

保坂和志『残響』という文庫本があり、「コーリング」と「残響」の二本おさめられています。
もっとも好きな小説の一つです。

誰かがある誰かのことを思い出している時に、思い出されている人は別の誰かのことを考えているかもしれない。あるいは、あなたが誰かのことを思い出している時に、その相手はあなたのことなんて考えていないが、別の誰かがあなたのことを思っているかもしれない。
そういうことを具体化した小説です。
自分がこういうことを考えていたんだ、という小説。
たとえば一人でいても一人じゃないんだということを物質的に肯定している気がします。
ミゲル・デ・ウナムーノのドン・キホーテについてのエッセイに通じるものを感じます*1。同じ星の元で歩いている他の誰かは見えないけれど、進め!という内容だったと思います。
この二本はドン・キホーテのような勇気の出る小説です。

コーリング

どちらかと言うと「コーリング」の方が好きです。恋愛の空気があるからかなと。といっても現在進行形の恋愛小説ではありません。
男は名前を付けて保存、女は上書き保存。
とか、そういうわかった風な分類はどうでもよくて、ふと思い出した人の記憶に一日つき合うという小説です。孤独だけど孤独じゃない。
私にとって恋愛とは、もはや実践するものではなく、こういう形式をとるのだと思います。

残響

「残響」を読むと、毎年我が家に間違って届くお歳暮のことを思い出します。住所は合っているので前の住人宛ではないかと。しかし、相手の住所も曖昧なのにお歳暮を送るのでしょうか?また、名前がある作家の名前と同じなので、もしかしてその作家がこの部屋に住んでいた想像をします。
「夫婦は『愛』じゃなくて『運営』なのよ」という台詞があって、正しくファミリーマネジメントだと。マネジメントの積み重ねと時間が愛を作るようなイメージがあります。
恋愛の好き嫌いとは、やはり違うんだろうなと。ゆえにお見合いであっても夫婦は成立しますよね。
あなたのおうち、わたしのおうち。 | ファミリーマネジメントジャーナル
あと、チューリップではありませんが、我が家の庭にも「前の人」がおそらく植えていった水仙が毎年花をつけます。

残響 (中公文庫)

残響 (中公文庫)

*1:今どうやったら読めるかな。学生時代にコピーしていたんだけど