手持ちのもので考える

石川忠司を読むと文芸評論だろうが、哲学だろうが、各自が手持ちの思考ツールで勝手に考えればいいんだという気になる。よい意味で敷居を下げてくれるのだ。一方、学問的な研鑽を積み重ねてなんとか大学教員の地位を手に入れたような人はどうしても専門からは離れられない。今まで時間と苦労を重ねたツールを使わないともったいないからだろう。私も後者が面倒なので石川忠司を読むと楽したくなる。今もっているツールでいいじゃんと。でも思考自体は楽できない。問題はツールの強度ではなく思考の強度だ。
強度って言葉もきちんと定義づけて使っていない。強度ってどれだけ機能するかって意味合いが強い。自分にガツンと来るかどうか。