とにかくたくさん書いてアップするのだ〜pha『持たない幸福論』

phaさんの『持たない幸福論』を読んだ。
読みやすいのだが、意外と時間をかけて読んだ。
スマホKindleで、主に通勤時間に読んだ。
気楽になれてちょうどいい。
ハイライトした箇所からさらにいくつか絞り込んだ引用を元に、自分の思考を展開して、それをそのままブログにしてみようと思う。

「自分が何を好きか、何をしているときに一番充実や幸せを感じられるかをちゃんと把握すること」86

今、これを書いているのは、春分の日の夕方で、平日が休みになるのはうれしいけれど、いざ特に何もやりたいわけじゃない、というパターンの中で、読書やこうやってブログを書いている。
さっきまでは昼寝をしていた。
そういうパターンに、なんとなく罪悪感を持ってしまうのは、休日に父親らしく家族サービスをしなければならない、とか、車を丁寧に洗車している他所の父親なんかをインプットしてしまっているからだと思う。
そうじゃなくて、自分の価値に従っていいんじゃないか。
本書を通じて、そういうことを考えた。
自分は、本当に縁があって、今の妻と結婚して、子どもが三人いるので、phaさんのライフスタイルをそのまま真似するわけにはいかない。
でも、その根っこにある精神はインストールできる。
父親だって、色んなあり方があっていい。
そうやって、自分自身を充実させて、その姿を子どもたちに見せることが父親としての機能だったりもするだろう。
おお、早めのアルコール入れながら書くと、意外と色々書けるもんだ。

何もしたくないときはひたすら何もしないのがいい。無理して何かをしようとしてはいけない。318

今日はまさにそんな気分だった。
本を読んだり、ブログを書いたり、Twitterにツイートしたりするのは、自分にとっては何もしていないようなものだ。
昼寝もしたし、まあよい祝日だった。
phaさんのように、僕は自分の「めんどくさい」という感覚を重視している*1
常に、めんどくさいなあ、とつぶやきながら、それでも色々やってしまうのだ。
そういうバランスでやっている。
めんどくさいからやらない、といった短絡的な思考ではない。
めんどくさいけれどやるんだよ!
といった意地みたいなものである。

今はインターネットの登場によって、頻繁に会わない人との繋がりを維持するコストがすごく低くなった。1684

自分に課題があるとすれば、人との繋がりが弱い、というのがある。
でも、ウィークタイズ=弱いつながりがたくさんあればいい、という理論もあったりするようだから、それほど気にしていない。
仕事で九州地区の同業者と集まったりする機会があると、意外と自分はオープンに話ができる。
むしろ日常的に接している同僚たちに対しての方がクールかもしれない。
普段、離れている人たちの方がフレンドリーになれる。

文章を書くというのはお金を得る手段としてはあんまり稼げなくて大変だけど、趣味としてはあまりお金をかけずに長く楽しめてコストパフォーマンスが良いから、みんなもっと趣味として文章を読んだり書いたりをいっぱいすればいいと思う。2006

結論としていいね。
自分はだから、こうやってブログを書いている。
たぶんずっとブログを書いてアップし続けると思う。
どれぐらいの人が読んでくれているのか。
Twitterとブログ、この2つを中心として。

*1:phaさんは「だるい」