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投資と消費を分けるのはアウトプットするかどうか?

思索

The Middle of the Desert

投資と消費を分けるのは、アウトプットへの意志がポイントではないか。アウトプットはすなわち生産ということ。
たとえば、映画を見るだけでは消費だが、それをブログに書いて、結果、認められて映画評論の本になって印税を稼げばそれは投資になる。誰だったか、本を書くのは労力の割に印税は大したことないが、それ以上の価値があるということを言っていた。忘れたな。
ピケティ本を読んで経済学の勉強をするのは投資を意志しているが、結果として成果が出せるかどうかは不明。
大学の研究者の研究も、成果は後日にならないとわからない。その研究に予算を付けるのは投資への意志だが、結果、ただの消費として終わることもある。それは投資の失敗なのか?国の競争的資金の配分の歯切れの悪さを感じるのも、その辺りではないか。国の予算執行は消費であっては困るのだろう。国の投資に失敗は許されない。官僚的世界の無謬性が発揮されるのだ。しかし、投資において絶対に儲かる=成果が出ることはあり得ない。税金を無駄に使ってはいけない、という考え方はわかるのだが。
たとえば、マンガばかり読んでいる子どもがいたとして、将来、その結果漫画家になりたくさん稼ぐことができれば、それは結果的に投資になっていたと言える。しかし、大多数のマンガ好きはただの消費にしかならない。これは結果論でしかわからない。子育てにおいて、悩む点である。
家計の出費について、消費と投資を分けるといい、という意見があるが、上のようなことを考え始めると、なかなか難しい。
最終的には、ジョブズが言ったように、将来、線としてつながることを信じて点をうつしかないのだろう。つまり、投資としてのリターンを信じてやることしかない。
こういった記事をアウトプットするのも投資を意識するから。不完全だろうが、間違っていようが、どんどんアウトプットすべきだと思う。とはいえ、最近、ブログにはほとんどコメントが付かなくなっているよね。みんなTwitterに行ってしまった感じがする。