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ファン・カルロス・クベイロ、レオノール・ガジャルド『モウリーニョの哲学』を読んだよ〜魅力的な憎まれっ子世にはばかる

モウリーニョの哲学』を読みました。読むと、モウリーニョのことが好きになって、モウリーニョを批判する人たちがなんというか心が狭い人間のように見えてくるから不思議です。なんかこう善人ぶっているというか。ベンゲルなんか日本では人格者のように扱われていませんか?モウリーニョは、曹操とか織田信長とか、そういう類の人物のようです。たんに率直なだけなのかもしれません。会ったことないので、結局よくわかりませんが。

ジョゼ・モウリーニョは勝つことに慣れた監督だが、それ以上にすごいところは、負けたときでも平然とした顔を見せることだ。(65頁)

モウリーニョはときに勝利も敗北も、まったく同じ視点で見る。幸福感もなければ、不快感もない。(68頁)

勝敗そのものを重視しない姿勢は、プロゲーマーの梅原大吾さんに通じますね。最近、何でも梅原さんに通じる気がしています。勝負論としては、勝ち負けにこだわらず、日々の連続に価値を置いてそれを淡々と継続すること。それが自分が最近集中的に読んできた梅原大吾さん、谷川浩司さん、和田秀樹さんなどの本、押井守監督のインタビューを通じて学んだことです。

「物事がうまくいっているときは、私は姿を隠す。だが、うまくいかないときや悪い結果が現れたときは、まったく違う生活をする。(略)隠れたりはしない。我々はここに住んでいるのだから」モウリーニョ(70頁)

うまくいっていない時に普通は隠れる。しかし、モウリーニョはその反対の行動をとる。これはすごい。負けた時ほど堂々と振る舞い、相手チームを祝福する。モウリーニョが挑発するのはマスコミだけ?

モウリーニョがマスコミに見せるイメージと、実際の人柄はまったく違う」(92頁)

  • 2011年年間最優秀ロックスター米『ローリング・ストーン』誌

確かにロックスターみたいに見える。モウリーニョが演じている?オアシスのギャラガー兄弟みたいな。

「私は、人に好かれたり嫌われたりする理由を考えて時間を無駄にしたりしない」モウリーニョ(111頁)

へー、モウリーニョは詩人フェルナンド・ペソアがお気に入りなのか。サッカー好きで、ペソアを知っている人がいったいどれほどいるだろうか。とりあえず段ボールから、フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』(思潮社)を引っ張りだして読むことにしました。こうやって読書は繋がっていきますね。

不穏の書、断章

不穏の書、断章

モウリーニョの練習では、ただ単に走ることはしない。常にボールを使う。ピアニストがピアノの周りをぐるぐる走ったりはしない。ピアニストの練習はピアノを使う。
となれば、受験勉強においても徹底的に志望校の過去問を解けばいいのかもしれない。過去問をたくさん解けば、自然とその大学の問題傾向がインストールされる。その状態で教科書を読めば、その大学に必要な知識が無意識に取捨選択されるのではないだろうか。
ここで最近読んだ和田秀樹さんの『受験勉強は役に立つ』を検索してみる。Kindleだとこういう場合に「過去問」で検索できるから便利。すると次のような一文に当たった。
「憶えた解法を使いこなしたり加工したりできなければ、数学ができたことにはならない。」
受験勉強も実践練習をたくさんやればいいのだろう。それでサッカーもボールを使う練習をやればいい。合理的。ああ、マラソンランナーの川内優輝さんを思い出した。彼にとってはマラソンに参加すること自体が練習を兼ねている。

さて、モウリーニョにいくら関心したところで、真似してもしょうがない。そういうことをモウリーニョも言っている。そこで自分のスタイルは何だとなるのだが、そんなものは誰かに考えさせればいいのでしょうね。自分は自分のやるべきことを淡々と継続してやればいい。その「自分のやるべきこと」が何か未だによくわからないのが困るけどね。

記者会見も試合の一部。コミュニケーションにおけるエレガンス。「サッカー界のジェームズ・ボンド」。そして、ロックスター。思い出した、その魅力は古美門研介(『リーガルハイ』)にも通じるかもしれません。どこまで計算で、どこまで本当に子どもっぽい性格なのかわからない。

モウリーニョの哲学

モウリーニョの哲学