カズオ・イシグロ『日の名残り』を読んだよ〜読了後のミステリー感をあれこれ

カズオ・イシグロの名作『日の名残り』を読みました。以前、読んだことあるような気もしますが、忘れています。Kindle版があったので買って読みました。読みやすい文章。翻訳が素晴らしいのかもしれません。英語で読んでみたくなりました。"The Great Gatsby"の後に検討します。

ちょうど映画『英国王のスピーチ』を観たところだったので、同時代のイギリスがリアルに感じられてよかったです。ナチを賛美しているわれわれの新しい国王というのは、英国王のスピーチでの兄のことかな?ちょうどセンター試験期間中なので、こういう世界史の勉強もできると思いました。

執事の仕事が今の自分の仕事に似ているところもあり共感が高まりました。執事の仕事は目立っては「品格」が失われるような点、目立たない執事の優秀さという点で、最近読んだこれ↓を思い出しました。
凄いのにそう見えない人 - レジデント初期研修用資料(旧)
ミスター・ネイバースのような目立つ改革者は、目立つ故に仕事ができると思われがちだけど、実際は現場を混乱させているだけで優秀でも何でもない。そういうところを自分の今の仕事に引き寄せて考えました。
みずからの職業的あり方を貫き、それに堪える能力、という執事の仕事は、たとえば美術館の警備業務のような時にしっくりくるものがあります。また、上記の医事課の事務職員や大学事務の仕事のような裏方の仕事。そういった仕事においては、時に自らの意見をあえて述べないことが求められます。納得できなくても委員会において発言しない、といった態度。つまり、あなたはあくまで事務方であって、委員ではないと。しかし、一方で最近の流行りにおいては大学の事務職員といえども教員と一緒に車の両輪として大学経営に参画する必要があると声高に喧伝されます。やる気のある若手職員においては、その流行りをまともに受け取って、血気盛んに改革の担い手を標榜してなかなかうまくいかない自らの組織内に早々と愛想をつかして他大学の職員との交流に明け暮れる。しかし、そういった甘ちゃんでは困るのです。目を覚ましてもらう必要があります。『日の名残り』でも読んでしっかり自らの「職業的あり方」について考え、それでもやるんだよ、と根回しや上司をうまく利用するなどのパワーゲームをやって組織をよい方向へ導くマッチョにならなければいけません。

またミス・ケントンの手紙が謎解きのようにも思えます。語り手の思い込み。語られていないところに真実があるようでも、真実なんて意味が無いようにも感じられました。語り手による手紙の深読みは気になったところです。自分に都合のよいように読んでいるのではないか?

イギリスの田園風景は、自分には俵山から見下ろした阿蘇カルデラの内側の風景を思い起こさせました。
画像を調べてみたらDyrham Parkというキーワードが、どうやらダイラム・パークというのは、映画のロケに使われたようですね。Googleマップ日の名残りの地名を訪れてみるのもいいかもしれませんね。

ダーリントン・ホールを切り盛りする語り手の様子、ミス・ケントンを初めとする部下のマネジメントは、ちょうど並行して読んでいた下園壮太自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』とシンクロしました。たとえば回想で語られるダーリントン・ホールのどの場面においても、語り手はライフイベントのストレスに複数同時にさらされています。そして、おそらく年齢による能力の衰えによって細かいミスが出てきているのはムリがたまってきているのかもしれません。そこを敏感に感じ取って語り手に休暇を与えるアメリカ人の新しい主人はなかなかに仕事ができる上司だと思いました。
こういったビジネス書的な読み方は小説の読み方ではないのでは?あくまで『日の名残り』は恋愛小説なのでは?という読み方は、いかにも狭い。たとえばAmazonジェフ・ベゾスの愛読書には『日の名残り』があって、そこから決断の基準を後にするであろう後悔の量の多寡におくという「後悔最小化理論」を考えついたらしいです。そのような読み方も許容する小説なのでしょう。
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以下、内容に触れているので、未読の人は注意してください。『日の名残り』は殺人事件などは起こらないものの、ある種のミステリーとしての要素もあります。
あの夜の勝利感と高揚、もしかするとこの辺りを「信頼できない語り手」と言うのかなと思いました。主人やミス・ケントンに対して「何もしなかった」ことを執事としての勝利として語る語り手。しかし、本当は泣いていたのでは無いだろうか。後悔しているんじゃないだろうか。そういう読みができるわけです。強がっているだけではないか?
なるほど。しかし、私はとりあえず文字通りに読みました。語り手を疑う読み方もあれば、語り手を信じて疑わない読み方もあるのでしょう。多様な読者を許容するからこそ、素晴らしい小説とも言えます。私の今の気分は、深読みはしない、というところでした。

夕方こそ一日でいちばんいい時間、というのは、日の名残り、というタイトルに繋がります。もちろん一日の暮れのことだけではなく、人生も「夕方」がいちばんいい時間と言っているのだと思います。過去を振り返ること、こうでありえたかもしれない「可能世界」について思いを馳せること。それを肯定的にとらえること。

ミス・ケントンは、私には意外なところまで言葉にした感じがします。自分の映画の記憶では、あそこまで「告白」しなかった印象があります。あなたのことが好きだった、とほとんど言っている感じがします。映画でもそうだったっけ?忘れています。というか、記憶をおそらく書き換えています。記憶というのは、怖い。本当に無意識に自分に都合のいいように書き換えることは、よくあることです。たとえば痴漢の裁判など。裁判官はもっと「信頼できない証言」について考えるべきだと思いますね。人は、他人に読ませない前提で書いている日記でも嘘をつきます。自分に嘘をついて記憶を書き換えているんだと思います。それは何かを守るための無意識の発露でしょう。日記だから真実が書かれているというのはナイーブ過ぎる読み方だと思います。そう考えると「信頼できない語り手」という読み方は、確かに納得ができるもののように思いました。

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

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