年賀状をやめてみる

LIFE SHIFT、人生100年時代に向けて、変化に慣れる必要がある。そこで実験だ。人生は実験の連続だ。まずは、年賀状を止めてみることにした。毎年、11月になると、写真をどうするか?デザインをどうするか?いつまでに注文すればいいか?など、タスクと選択と悩みが多かった。正直、大きなストレスだった。先日の尿管結石も年賀状のせいかもしれない。

師走になって、喘息の診察のために仕事を休みもらった。そうすると同じタイミングで次男が嘔吐した。師走っぽくなってきた。色々と重なってくる。やはり年賀状は止めよう。喘息や尿管結石を口実にして止めるのだ。自分のメンタルが第一。

『LIFE SHIFT』でも、長期的な人生における人間関係の重要性は強調されている。年賀状もバランスだ。こちらから送る人に対しても、写真付きではなく、印刷年賀状に自分の言葉を添えるという年賀状でいいと思う。押し付け気味の写真から、言葉でのコミュニケーションへシフトする。年賀状を考え直すことで、無形資産としての人間関係についても再考してみる。

早速コンビニで印刷されたお年玉付き年賀葉書5枚買ってきた。こちらから出すのは、恩師1枚のみにする。届いた年賀状に対しては年明け正月以降にしっかり読んで、考えて、丁寧に返事を書こうと考えている。さて、どうなることか。
こうなると、書く言葉を考えることになる。ずっと会っていない先生のことを考えて、何かを書く。その時間を費やす。しかし、子どもの写真に悩んだり、葉書のデザインに悩んで時間を費やすよりよいと思った。年賀状は手紙である。言葉がやはり大事なのだ。エッセンシャル思考で考えると、年賀状の本質は手紙であり、言葉である。

今年から万年筆を使い始めたので、カクノで書こうと思う。恩師はいつも万年筆で返事が返ってきていた。そこには手書きの良さがある。手書きには熱量がある。