代替となるものが何かないだろうか。
この手の話題が難しいのは、どうしても自分のリアルが絡んでくるが、そこをあからさまに表現することは躊躇する。しかし、自分にとっては人生における重要な要素なので、こうやって書くことにする。日記などに書いてオープンにしないってのもあるから、オープンに書く意味って何だろう?特に共感や意見を求めているわけでもない。
処方箋として、一つ考えている。
忘れるくらいの何か情熱の対象があればいいのだろう、ということだ。代替となる何か。
いつまでもできるわけじゃないしね。
あるいはフェティシズムを極めるか。
具体例として、身体の附帯設備は「髪」のみだが、これ「足」ならどうか?「お尻」でもフェティシズムなのか?
定義に対する色々な疑問はともかく、代替アート=技術としてのフェティシズム。今のところ、自分の内面に降りても、フェティシズムが見当たらない。
色々と空っぽな自分である。
その悩み自体をこうやって文章にすることで、なんとか心を維持している意味合いはある。だから、オープンにする?文学的だ。
奥様は、取り扱い注意
ところで今見ているドラマ『奥様は、取り扱い注意』で、知り合った主婦3人の会話でいきなり旦那との話題になったが、リアルにそういうものだろうか。たとえばサラリーマン夫3人が初めて飲み会をするとして、いきなり妻とのことは話題にならないと思う。まあ、しかし、そんなことはどうでもいいことだ。それでも、毎週、違う事件が発生することで、主人公夫婦は必持ち込んでいるよね。刺激が必要ってこと? めんどくさいな。とりあえず、日本においては、夫婦がレスにならないためには、夫が馬鹿になるのが手っ取り早い。何度拒否られても、心を折らずアタックするのみ。しかし、ナンパでは何度断られても心は折れないが、パートナーに拒否されると心が折れるんだよなあ。グリット、グリット、グリット。あるいはレジリエンスが必要になる。自分に魅力があればいいのだろうけれど。自信も無い。やはり空っぽな自分を発見する。スタイリッシュな空っぽでも目指すか。