後悔がないのが問題

The Regret.

仮に明日死ぬとしても、自分には後悔することなど存在しない。
おそらくそれが問題だ。
情熱を持っている人は、明日死ぬとしたら、まだ成し遂げていないことに対して後悔するだろう。
後悔がない、ということは情熱がないということだ。
この人生において最早、やりたいことがないということだ。
余生。

先日、「情熱の対象」というタイトルで似たようなことを書いたな。
でも、気になれば同工異曲でも、どんどん書けばいい。
今回はそれを「後悔」というキーワードで集約する。

後悔と言えば、自分は今までの人生でほとんど後悔したことがない。
大学浪人も2年してしまったが、そのおかげで大学で妻になる女性に出会えた。
だから、別の人生ルートなど、想像しようがないのだ。
高校でしっかり勉強して、現役で大学に行ってしまえば、妻に出会えなかったのだ。
その人生など考えられない。

ちょうど読んでいる本で次のような言葉に出会った。

本物のグリットは、すべて「夢」からスタートする。自分にとって極めて重要で充実した何か、もし一度もそのための一歩を踏み出さなかったらきっと後悔するであろう何かをするには、自分の標準状態から抜け出なければならない。
(キャロライン・アダムス・ミラー『実践版GRIT(グリット)やり抜く力を手に入れる』

まさしく自分には「夢」が無いのだ。
だから後悔もない。
しかし、何かが人生において不足しているような感覚も持ち続けているのだ。
じりじりする焦りのような感覚だ。
中年になったのも大きいかもしれない。

コンフォートゾーンから出たくない。
失敗したくない。
そうした守りの姿勢になっているのかもしれない。
リスクを冒さないことが鬱に関係しているかもしれない。
自分がリスクを冒すと家族を巻き込む。
そこは発想の転換だ。
この家族との安定した生活をなんとしても守る、というのも一種の冒険ではないか。
何もジャングルや砂漠に出かけるのだけが、冒険じゃない。
戦いは日常にもある。
勝負だ。
そこでわくわくしろ。
後悔なんていらない。
そこには哲学がある。
あるいは、自分としては夏目漱石が『草枕』で提示した「非人情」がある。
自分すらも非人情に扱うこと。
福田和也さんの次の文章を思い出した。

この世の如何なる酸鼻であろうと許容し、愚劣で、無意味な生存を肯定する。此岸を「彼方」として生きる明確な意志さえあれば、人生は「甘美」な奇跡で満ち溢れる。(福田和也『甘美な人生』)

夢や情熱が無くても、強い意志をもって生きることだ。
そうすれば、日々の仕事ですら、甘美なものとなる。
気がする。
後悔などしている暇はない。

金曜日の夜、今週は頭を使う仕事が続いて、今日は偉い人に対峙したので疲労が蓄積している中で書いている。
そして、予約投稿が間に合わずに今日はこのまますぐに投稿するから、青臭いかもしれない。
しかし、後悔はしない。

実践版GRIT(グリット) やり抜く力を手に入れる

実践版GRIT(グリット) やり抜く力を手に入れる

甘美な人生 (ちくま学芸文庫)

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