『キッチン』のフラット、そして自分にとって書くこと

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photo by jhiner
吉本ばななさんの『キッチン』を久しぶりに読み返していいなと思いました。

主人公の桜井みかげが田辺雄一の善意を信じたのは、彼の申し出がフラットなものだったからだろう。

悪く言えば、魔がさしたというのでしょう。しかし、彼の態度はとても“クール”だったので、私は信じることができた。

彼のそういう態度が決してひどくあたたかくも冷たくもないことは、今の私をとてもあたためるように思えた。

暖かくもなく冷たくもない。クールとも違うのが、私がずっと考えている「フラット」になります。打ちひしがれている時に暖かい善意はかえって辛いことがあります。その感覚を共有できる人は少ない。
吉本ばななの描く主人公は、自分の感覚を信じています。世間の常識で判断しません。そこが読んでいての気持ちの良さに繋がっていると思います。神秘主義に入り過ぎるとちょっと引きます。デビュー作の『キッチン』ぐらいのバランスがいいですね。

キッチン2も読みました。
次の箇所を読んだ時、自分は酔っ払っていた。でも、自由意志とかアルゴリズムの話と繋がってびっくりした。

人はみんな、道はたくさんあって、自分で選ぶことができると思っている。選ぶ瞬間を夢見ている、と言ったほうが近いのかもしれない。私も、そうだった。しかし今、知った。はっきりと言葉にして知ったのだ。決して運命論的な意味ではなくて、道はいつも決まっている。毎日の呼吸が、まなざしが、くりかえす日々が自然と決めてしまうのだ。そして人によってはこうやって、気づくとまるで当然のことのように見知らぬ土地の屋根の水たまりの中で真冬に、カツ丼と共に夜空を見上げて寝ころがざるをえなくなる。

色々自分なりにやって、それで自分のアルゴリズムを作っていくしかない気がする。そして、いざという時には自由意志ではなくてアルゴリズムが勝手に決めてしまう。ついカッとなって人を殺めてしまった人は、それまでにそういうアルゴリズムを作ってしまったわけで、その意味では責任はあると思う。自由意志じゃないから責任が無いとは単純ではないと思う。そのアルゴリズムを作ったのがまるっきりその人のせいじゃないということも含めて。

このカツ丼を運ぶエピソードはいいなと思います。何がいいかって、カツ丼を食べさせたらすぐにタクシーでとんぼ返りして翌日は仕事をするってのがいい。これが映画だとそのままセックスして仕事はすっぽかすんだろうけれどね。

『キッチン』を読み返している時にちょうどiTunes小沢健二さんのLIFEの曲が流れてきて、ぴったりですね。確か吉本ばななさんはオザケンのファンだったような。

みかげにとっての台所

みかげにとっての台所のような存在が自分にあるといいな、何も無いな、ということをツイートしたら、ブログ好きですよ、と返してくれた人がいて、うれしかった。
そこから、自分にとってのブログということを考えています。
ブログ、つまり言葉を書くこと。公表することで、リアクションを得ることもうれしいのですが、それ以上に書くことそのものが自分にとって大事なことだと思います。
書くことは考えることでもあります。
書いたり、考えたりする中でフロー状態に入ってたくさんの言葉を書くことができる時、それは自分にとって幸福な時間だと言えます。そういう時間があれば、生きていける。
やっぱり自分にとっては、書くことが基本だと感じています。

深夜に目が覚めた時、まずやることはノートを開くこと。あるいはMacBook Airを起動してテキストファイルを開くこと。そして、何かしら言葉を書きます。MacBook Airはまずはネットには繋ぎません。ひたすらテキストファイルに言葉を叩きます。

『キッチン』は数年ごとに読み返すとよいと感じました。

キッチン (角川文庫)

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キッチン

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