恋愛について〜可能世界

文房具やGTDやザウルスについて語ることが多いこのブログで[love]=恋愛というカテゴリーがちょっと異質かもしれませんが、恋愛の方が長い。ずっと恋愛について考えてる気がします。高校生くらいからでしょうか。結婚して子どもがいる今でも恋愛のことは中心ですね。非常に抽象的ではありますが。具体的な行動や思いは大学生の頃がピークで結果、妻がいたりしますが時々当時のことも考えます。思い出すというよりは考えます。考えてる私がよく考えてるのは、可能世界という世界のこと。これは現実化しなかった可能性の恋愛について考えることです。あの時こうすればこうだったかもしれないということを考えると世界が広くなる感じがします。32歳のおじさんが考えることでもないんでしょうが、「日の名残り」のアンソニー・ホプキンスや「ベルリン・天使の詩」のブルーノ・ガンツという例もあります。ぶっちゃけた性欲の面とプラトニックな面と両方考えます。可能世界に戻れば、夢のような経験があって、その夜気持ち良く酔っ払った私はベッドに横になっていたんですね。そこにある女の子が隣に横になって、私は目をつぶっていたか天井を見ていたか、唇の端にその女の子の唇が触れる感覚があった。今思い出しても夢みたいで、酔っ払ったせいかもしれない。怖くてその女の子を見ることができなかった。つきあっていた恋人もいたしね。その女の子の方を見れば、その女の子の目を見ることになって私はある決断を迫られただろうが、私は唇の端に唇の感触を感じながらそのままでいた。いやいや、二人で部屋飲みしていたんじゃなくて、他の二人が部屋の外で話し込んでしまったもんだからそうなったんです。この話はまた可能世界と現実世界の間にあるような出来事で思い返すたびに私が勝手に記憶を作っているんじゃないかという気がしてきます。その女の子に聞くわけにもいかず。あの唇の感覚はなんだったんでしょうか。そんな色っぽい経験がちょこちょこあって私は性格が弱いのでそこから先へ踏み込めなかったり踏み込んでしまったりして今がある。しかし、可能世界について考えるところに自由があるね、絶対。行動に自由なんてありません。これも相対的な意味ですが。この辺、文章がわかりにくいかも。吉田健一の「時間」を見習って、思考をそのまま書き付けようとしている試みがあるからです。恋愛と時間。世界が広がりをもつための可能世界。恋愛の特に初期の気持ちの高揚感というのは、新しいiPodを手にするのとはまた別種の感じがします。彼女の部屋までの深夜の道を歩いている自分なんかよく思い出します。彼女の姿よりも。恋をしている自分が好きなのかも。このブログの読者には私を知っている女の子がいるだろうから、その女の子とのことは書けなかったりする。書いてもいいかな。読む人が読めば誰のことかわかるようなことを書くにはなかなか思い切りが必要です。可能世界のことについてはまた書くと思います。永井均の「私」などと私はからむとおもしろいんじゃないかと思うので。恋愛については具体的な話を内角高めぎりぎりを狙ってしていこう。改行なしでびっちり書いたのは、読者をあえて遠ざけるためでもありました。