長男に対して父親としてどうしたらいいのかわからなくなったので人としてあたることにする

UAE - Dubai Marina #2

夏休みは終わった。始業式の夜、日本代表は惨めに負けた。ロシアワールドカップに日本が出場できない場合の心の準備を始めた。そして、日付が変わって、2016年9月2日午前0時58分、つい30分ほど前、小学六年生の長男の夏休みの、夏休みの、もう一度、夏休みの宿題が終わっていないことが判明した。今年は我慢して、勉強しろとも、宿題どうなったとも言わなかった。結果がこれ。このままだと徹夜しそうだ。今日も学校がある。睡眠は最優先だ。不健康だし、寝不足で事故などに遭うリスクもある。徹夜は絶対に許さない。だから、午前1時までに終わらせるように通告した。今後、9月は介入する。生活を叩き直す。覚悟しろ。自分も覚悟する。
そこで思ったのは、「父親」という役割の放棄。もうどう子育てしたらいいのかわからん。だったら、一人の人間として長男に対するだけだ。暴力をふるわないとか、そういった点さえ守れば、後はカッコ良い父親のイメージとか、どうでもいい、アキヅキダイスケとして向き合う。黙って見守る、懐の深い父親とか、どうでもいい。カッコつけていた。
今、この文章を書いているのは、気持ちを鎮めるため。アンガーマネジメントのため。アルコールに頼らないため。起床まで五時間程度。寝不足必至。サッカーも負けたし、金曜日の仕事が重たい。フィラデルフィアクリームチーズを食べる。今週末は歯医者を予約しようと思ったが、それも延期。台風も来そう。家にこもって眠り続ける。そのためだけに今日、一日、何とか這いつくばってやる。まずは目覚まし時計を止めて、身体を職場まで運ぶこと。その一点に集中する。
不思議なことに、こうなるとセックスしたい気持ちは消える。長男はどうやら指示通りにタイムリミット過ぎて就寝したようだ。果たして自分がどれだけ眠れるかだ。UAEバンザイ。

投資と消費を分けるのはアウトプットするかどうか?

The Middle of the Desert

投資と消費を分けるのは、アウトプットへの意志がポイントではないか。アウトプットはすなわち生産ということ。
たとえば、映画を見るだけでは消費だが、それをブログに書いて、結果、認められて映画評論の本になって印税を稼げばそれは投資になる。誰だったか、本を書くのは労力の割に印税は大したことないが、それ以上の価値があるということを言っていた。忘れたな。
ピケティ本を読んで経済学の勉強をするのは投資を意志しているが、結果として成果が出せるかどうかは不明。
大学の研究者の研究も、成果は後日にならないとわからない。その研究に予算を付けるのは投資への意志だが、結果、ただの消費として終わることもある。それは投資の失敗なのか?国の競争的資金の配分の歯切れの悪さを感じるのも、その辺りではないか。国の予算執行は消費であっては困るのだろう。国の投資に失敗は許されない。官僚的世界の無謬性が発揮されるのだ。しかし、投資において絶対に儲かる=成果が出ることはあり得ない。税金を無駄に使ってはいけない、という考え方はわかるのだが。
たとえば、マンガばかり読んでいる子どもがいたとして、将来、その結果漫画家になりたくさん稼ぐことができれば、それは結果的に投資になっていたと言える。しかし、大多数のマンガ好きはただの消費にしかならない。これは結果論でしかわからない。子育てにおいて、悩む点である。
家計の出費について、消費と投資を分けるといい、という意見があるが、上のようなことを考え始めると、なかなか難しい。
最終的には、ジョブズが言ったように、将来、線としてつながることを信じて点をうつしかないのだろう。つまり、投資としてのリターンを信じてやることしかない。
こういった記事をアウトプットするのも投資を意識するから。不完全だろうが、間違っていようが、どんどんアウトプットすべきだと思う。とはいえ、最近、ブログにはほとんどコメントが付かなくなっているよね。みんなTwitterに行ってしまった感じがする。

人間嫌いが老後に孤独に負けて精神の平衡を崩さなようにするには難しい

Molotov cocktails VS armored vehicles

火炎瓶を投げて自殺した団塊の世代おじさんのことを時々思う。
毎年のサンバパレードがうるさかったのだろう。その気持ちはわかる。しかし、毎日聞こえるピアノの練習などと違って、サンバパレードは毎年1回だろうし、気楽な一人暮らしだったみたいだから、その日は都内の小綺麗なビジネスホテルにでも泊まってのんびりすればよかったのに。それが火炎瓶を投げて自殺する、という貧困かつ全共闘的なアイデアしか思いつかなかったのが悲しいよね。たぶん孤独に負けたんだと思う。

つくづく人間嫌いが老後に精神の平衡を保つのは難しいと思った。たとえ一人暮らしであっても、地域のイベントなどに参加できて、人間的なつながりがあれば、火炎瓶を投げて自殺するようなことは無かったと思う。
人間嫌いでも構わない。ただ、老後に孤独だと精神の平衡を保つのは厳しい。教養が足りなかったのだろう。でも、チャンドラーや中島らもみたいにアル中になったりする。ふと、村上春樹さんのライフスタイルはヒントになると思った。村上さんは、ある種の「人間嫌い」だと思う。
人間嫌いという言い方は不正確かな。集団行動が苦手、ということかも。そのために村上さんは1人でできる走ることを選んだのだろうし。規則正しい生活によって、作家活動で直面するダークサイドに取り込まれないようにしているように見える。

性格は一生変わらない。今、地域の活動に参加するのがめんどくさいのであれば、たぶん退職後もめんどくさい。そこをがんばって地域に参画しようとしてもかえってストレスになるだけだ。ほどよい距離を保つように工夫した方がいい。地域の運動会とかイベントが嫌だ。一方、ゴミ捨て場の掃除などはやってもいい。参画がゼロか100%という在り方がどうも合わないのだ。イベントが好きな人だけでイベントやればいいし、めんどくさい人はその人なりの地域貢献があるだろう。その辺りの多様性が日本社会に欠如している気がする。戦後の歪んだ平等教育の成果だと思う。この辺り適当に書いているので注意。

宮崎県のコンビニで、顔見知りの39歳店長を包丁で刺した64歳の無職のおじさん。これは、その年下の店長が何かおじさんの地雷を踏んでしまったんだろうなと思う。

とはいえ、他人のことを心配している場合ではなくて、今42歳の自分の老後を心配している。あと20年ほどで火炎瓶おじさんみたいにならないような対策をする必要があると考えている。

火炎瓶おじさんについては、産経新聞に詳しい記事があった。
www.sankei.com
酒屋を営んでいたということは学生運動とは無関係か?でも、火炎瓶なんか作れるのか?資産家というのは、ピケティ的には勝ち組ではないか。それでも妻を亡くして孤独だったのだろう。
地域と交流せず引きこもりのような生活を送っていたようで、典型的な人間嫌い。酒屋を営んでいたのに?
攻撃的な性格は、元々あったものだと思う。ただ、妻への愛情?執着?が強くて、先立たれたのがよほどショックだったのかもしれない。しかし、なぜそこから最後に火炎瓶を投げて自殺するところまで行ってしまったのだろうか。

akizukid.hatenablog.com

とてもじゃないが自分を肯定することなんてできない

よくあることだが、衝動的に子どもを怒ってしまい、その後、自己嫌悪に陥っている。
そんなに怒ることじゃないと妻にたしなめられた。痛い。
自分でもわかっている。でも、止められない。丸で若手俳優の性欲みたいだ。
で、あまりの恥ずかしさに家族に会いたくない。家を飛び出すのもめんどくさくて、勉強部屋に籠ってハイボールを飲んでいる。350ml缶だから大したことない。音楽は阿部薫にした。殺伐とした感じが救いになる。
この短気は、たぶん一生治らない。そこは覚悟するとして、怒りの表現は変えることができるのではないか。怒りを感じたとしても、それを衝動的にストレートに出すのではなく、表現を変える。冷たい怒りに変換する、とか。
そもそも子どもは怒りのスイッチを押してしまっただけで、怒りの根本的な原因ではない。じゃあ、自分は何に怒っているのだろうか。
今回は日曜日の夕方という条件が大きかったんじゃないか。要するに、ブルーマンデーあるいはサザエさん症候群。ちょうど今、サザエさんがあっているが見る気にならない。それくらい重症だ。働くのが嫌だ。キーボードの音が大きい人が嫌だ。ありとあらゆる音がうるさい。職場に行きたくない。でかい声でしゃべる人が嫌いだ。そして、自分も声がでかい。また、自己嫌悪に陥る。自分の仕事は、何か価値を生み出しているだろうか。しかし、辞めるわけにはいかない。家族の生活において、今の自分の仕事の収入は大きいポジションを占めている。今の日本でそれを代替するのはなかなか難しい。逃げられない。そもそも、子ども三人の父親という器では無いのだよ。
ああ、このまま頑固おやじになってしまって、退職金と共に家族に見捨てられるのだろうか。悲しいね。たとえそうなったとしても、それは自分が招いたことであり、できることはそうならないように今から行動すること。先に書いたように、怒りの表現を変えてみよう。冷たい怒り。
さっきドラッグストアでウイスキーでも買おうと思ったら、響って高いのね。700mlで5,000円超えていた。自分のクラスではない。
今日は本当は子ども二人を風呂に入れて髪を洗う日なのだが、とてもじゃないがそんな気分になれない。このまま死ねたらどんなに楽か。
書くことでいくらかでも救いにならないかという思いで書いている。下書き無し。そのまま投稿しようと思う。ちょうど彗星パルティータも終わった。CDはもう一枚ある。

彗星パルティータ(2012年リマスター盤)

彗星パルティータ(2012年リマスター盤)

ガラシャへの執着から逃れるための情熱を探して

sex

40歳を過ぎて中年になっても衰えない。それどころか、若い頃に比べて日々の生活そのものが平坦となり刺激がないせいか、かえって執着が強くなっている気がする。
問題は、執着のギャップ。パートナーが貪欲でなかったりすると、そこからレスになったり、極端な場合、片方が不倫などのめんどくさい方向へ走ってしまったりする。不倫とか色々、安定した関係や家庭を破壊する行為は心底うんざりする。めんどくさい。

そこで執着をどうするかについて考えている。執着から逃れるために、そのエネルギーを何か別の対象に向けることができたらいいんじゃないかと考えている。たとえば読書や勉強に没頭していれば割と忘れていることができる。逆に、寝付きが悪い時の不眠時間などはそんなことばかり考えてしまう。そんな時は起きて読書でもすればいい。あるいは今やっているみたいにブログを書くとか。ポケモンGOを起動して近所を歩きまわるのもいいかもしれない。一人、踊ってもいい。ひたすら腕立て伏せをするとかね。

40歳前後というのは、人生の達人のように見える糸井重里さんでも精神的な危機があったようで、サブカル鬱といった言葉もある。老化の始まりが「見える化」されるとか、仕事が安定してきて先が見えてしまったとか、色々と厳しい年代のようだ。
たぶん自分もそういった危うさを抱えていて、時々不安定になって、子どもたちに対して申し訳ない怒りをぶつけてしまったりしている。そんな折、小学六年生の息子を受験勉強をしないからと殺害した父親のニュース。やれん。
これじゃあよくない。
しかし、何かおかしなことをやることで正気を保っている、ということもあるだろう。町田康さんの小説の人物のように、働きもせずテレビの時代劇を見ながら踊る、といった狂気じみたアクションも正気を保つためには必要。他人を傷つけずに後戻りできる程度の狂気はよい。

自分にとって、情熱、パッションは何か。20年前は、それが恋愛だった。今はそういうわけにはいかない。

話を戻すと、フェティシズムは一つのヒントのように考えている。それによって、具体的な行為やめんどくさい不倫を回避することができるのではないか。セ行為そのものではなく、そこから逸脱した欲望を美学の域まで洗練させること。

何か思考のきっかけになるのではないかと、以前に書いて放置していた下書きを下に↓

厄年になっても持て余している自らを言葉で微分していく試みを。たとえば村上春樹さん、村上龍さんの言葉はリアルではない。赤坂真理さん、藤沢周さんの言葉の方が相対的には自分の感覚に近い。それでも一致はしない。世代の問題ではない。たとえば中上健次さんの言葉であれば近いと感じるから。しかし、中上さんとはその他の面で色々と違うせいか、ぴったりとは来ない。たぶん体格の違いが大きい。体格は文章に現れる気がする。ガリガリ体格の自分は、やはり自分自身の言葉を見つける必要がある。

ちょっと待て、何で言葉にするような回りくどいことをしているんだ?確かに、手っ取り早くするのが一番かも。ただ多分回数や人数をいくら重ねても、どこにもたどり着くことはできない。また、自分には妻である彼女が唯一の相手なのだ。率直に書くと、別に他の女性ともすることはできるが、したいのは彼女。ガラシャに倒錯的な愛を抱いた細川忠興の気持ちがわかるような気がしてきた。
その彼女と自分のペースが異なるために、僕が工夫しないといけない。少ない回数での満足。そこで、言葉で微分する試みを。

している時の感覚をすぐに忘れてしまう。これってなぜと思う。快楽や感覚がずっと続けばいいのに。そうすれば、もう少し解放されるかもしれない。しかし、この快楽の忘却には機能があるんじゃないか。
そういえば、堀江貴文さんが、食欲・性欲・睡眠欲は毎日リセットされる、ということを言っていた。むしろ記憶の方が後天的な機能なのかもしれない。
多分、記憶の方が不自然で人工的なんだと思う。たとえば、素晴らしくエロいグラビアアイドルの画像を見つけても、それを数日間見ていると飽きてしまう。
日々リセットされるもんだから、毎日やりたい、って思う。
毎日といっても強弱はある。本当に毎日やれば体力がもたない。

こうやって言葉で微分していく試み、は一つのアイデア
いや、とにかくしたい、愛する彼女と。

http://akizukid.hatenablog.com/entry/2014/07/10/010632

モノを増やさないために、普段はノートを使わない実験

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祖父母の家、2箇所はどちらももう誰も住んでいない。そして、モノであふれている。祖父母4人とも誰も整理できなかった。モノをためこんでしまうのは戦争経験者として仕方のないことか?しかし、膨大なモノを片付けなきゃいけないのは残された下の世代だ。
両親の世代では、妻の両親も含めて唯一、母だけはモノを減らすことを意識的に実践している。
今年2016年の夏の帰省では、段ボールに保管された自分の日記や手帳を処分できなかった。こういったモノは心理的に処分するのが難しい。であれば、最初からこういったモノを増やさないようにするのがベターだ。
そんなわけで、モノとしてのノートを増やしたくないと思った。実験として、A4裏紙メモを手書きのメインにしている。今までは、タスクも思索もすべて同じ紙に書いていた。そこに読書の引用も加わるとメモの消費量が半端ない。そこで2枚に分けた。分けてもA4コピー用紙2枚だけなのでたいしてかさばらず、どちらもシャツの胸ポケットにおさまる。日常的にはノートは使わないようにしている。
A4裏紙メモは埋めたら、必要な情報はEvernoteに転記して、スキャンしてPDF化して処分する。使うのはEvernoteに転記された情報だけで、PDFメモはたぶん読み返さない。

手持ちのノートはどうするか?

帰省を初め、仕事での出張など、旅をする時にはノートを持参して、思索を書こうと考えている。文字通りのトラベラーズノートだけじゃなく、すべてのノートをトラベラーズノートとして使うのだ。それくらいはノートを残していいんじゃないか。様々な大きさのノートが在庫としてあるので、数年はノートを買う必要は無さそう。買わなければ増えない。
また、手帳は年1冊使うようにする*1

古いノートもできる限り処分する。処分する際にはスキャンしてPDF化すれば心理的なハードルが下がるよね。

そういった様々な試みによって、自分の書いた言葉に対する物質的な執着を落としていく。執着が落ちてくれば、ノートもバンバン捨てることができるようになるかもしれない。

『あるミニマリストの物語』の作者がミニマリストになったきっかけとして大きかったのが、母の死だった。そのお母さんも膨大なモノを残して亡くなった。自分はまだ両親が健在で、残された膨大なモノを処分する経験が無い。そういった強い経験があれば、それがスイッチとなるかもしれない。

あるミニマリストの物語―僕が余分なものを捨て人生を取り戻すまで

あるミニマリストの物語―僕が余分なものを捨て人生を取り戻すまで

  • 作者: ジョシュア・フィールズ・ミルバーン,ライアン・ニコデマス,Joshua Fields Millburn,Ryan Nicodemus,吉田俊太郎
  • 出版社/メーカー: フィルムアート社
  • 発売日: 2016/04/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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*1:ただし2016年使っているトラベラーズノートのバーチカルは2冊で1組

1995年に青臭く片思いしていた時の酔っ払ったメモを見つけたので文字起こししてみる

今、現在、2016年、酔っている。その状態で紙類をどんどん整理していたら、小さな紙片が2枚出てきた。

21年前、大学1年生、1995年、おそらく当時入っていたサークルの飲み会の後に一人で部室に行って暗闇の中書きなぐったメモ。
赤ペンで。
判読が難しいが、できる限り文字に起こしてみる。
ちなみに「あのコ」は今の妻のことなので問題無し。当時、絶賛片思い中だった。
小沢健二の影響も見られる。たぶん当時の恋愛のテーマは『LIFE』だった。

以下、メモから

まっくらで、自分の時計の文字も見えない。
そんな中で1人でいると、
いろいろな思いが頭ん中でこんがらがって
どうしようもなくなる。
見えないのに、手の感覚だけでこれを書いている。
おまけに酔ってるし、メガネもかけてないし、
あとで読めるかどうか、ちゃんと文字にるっているか
どうかもわからない。
ひらき直ってしまった。酔って足がフラフラしている。
自己嫌悪できる程度に理性が残っているので
さらにいけない。ボン。
時計の音、ロケット花火、バイク野郎、月の光、
(裏へ)
ちゃんと裏まで書こう。
いま何時だ。あのコはもう眠ったのかな?
who? こんがらかってぶち切れて、
(判読できない)
メガネをはずして 物がぼやけて見える世界が、
よい世界のように思えてきた。
カオスだ混沌だ。
(判読できない)集団の中で浮いてしまってる。
1200円のビニールの透明のリックがほしい。
よし、あのコを誘ってどっか出かけよう。

(2枚目)
早く夜明けがこないかな。そしたら、家に戻って、風呂に
入って、(判読できない)さっぱりして、本をもって、図書館へ
こもろう。そして1200字のレポートを書くんだ。
5時になって、図書館からしめだされたら、
あのコにTELしよう。ねえ、明日ヒマ?
よかったら どっか行きませんか?
(判読できない)でピクニック なんてのもいいかな。
ダメだったら、★さんにワープロかりて、
レポートを打ち込んでやる、そして、レポートを片付けたら、
50万円目ざして 書きまくろう。
小説家になりきって、詩人になりきって、今日の自分を忘れて
(裏へ)
このまま書きつづけてると(判読できない)頭がおかしく
なるのかな。心配だ。不思議とこわくない この空間。
(数行判読できない)
まだまだ書けるぞ ねえ、ほんとにこれ読める?
読めたら、まずいかな?あのコって誰? Who? それはナイショなのさ
おわり


小沢健二「ぼくらが旅に出る理由」 PV

LIFE

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