とてもじゃないが自分を肯定することなんてできない

よくあることだが、衝動的に子どもを怒ってしまい、その後、自己嫌悪に陥っている。
そんなに怒ることじゃないと妻にたしなめられた。痛い。
自分でもわかっている。でも、止められない。丸で若手俳優の性欲みたいだ。
で、あまりの恥ずかしさに家族に会いたくない。家を飛び出すのもめんどくさくて、勉強部屋に籠ってハイボールを飲んでいる。350ml缶だから大したことない。音楽は阿部薫にした。殺伐とした感じが救いになる。
この短気は、たぶん一生治らない。そこは覚悟するとして、怒りの表現は変えることができるのではないか。怒りを感じたとしても、それを衝動的にストレートに出すのではなく、表現を変える。冷たい怒りに変換する、とか。
そもそも子どもは怒りのスイッチを押してしまっただけで、怒りの根本的な原因ではない。じゃあ、自分は何に怒っているのだろうか。
今回は日曜日の夕方という条件が大きかったんじゃないか。要するに、ブルーマンデーあるいはサザエさん症候群。ちょうど今、サザエさんがあっているが見る気にならない。それくらい重症だ。働くのが嫌だ。キーボードの音が大きい人が嫌だ。ありとあらゆる音がうるさい。職場に行きたくない。でかい声でしゃべる人が嫌いだ。そして、自分も声がでかい。また、自己嫌悪に陥る。自分の仕事は、何か価値を生み出しているだろうか。しかし、辞めるわけにはいかない。家族の生活において、今の自分の仕事の収入は大きいポジションを占めている。今の日本でそれを代替するのはなかなか難しい。逃げられない。そもそも、子ども三人の父親という器では無いのだよ。
ああ、このまま頑固おやじになってしまって、退職金と共に家族に見捨てられるのだろうか。悲しいね。たとえそうなったとしても、それは自分が招いたことであり、できることはそうならないように今から行動すること。先に書いたように、怒りの表現を変えてみよう。冷たい怒り。
さっきドラッグストアでウイスキーでも買おうと思ったら、響って高いのね。700mlで5,000円超えていた。自分のクラスではない。
今日は本当は子ども二人を風呂に入れて髪を洗う日なのだが、とてもじゃないがそんな気分になれない。このまま死ねたらどんなに楽か。
書くことでいくらかでも救いにならないかという思いで書いている。下書き無し。そのまま投稿しようと思う。ちょうど彗星パルティータも終わった。CDはもう一枚ある。

彗星パルティータ(2012年リマスター盤)

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