南直哉『心がラクになる生き方』を読んだよ

南直哉さんの『心がラクになる生き方』を読んだ。

本書を読んでいて接続した言葉は、ハードボイルドだ。禅僧の言葉がハードボイルドだって。基本的に、ハードボイルドは受け身だ。主人公は積極的に何かを求めているのではない。ほとんどの事件が向こうからやってきて、否応なしに巻き込まれる。
楽になる生き方としてハードボイルドを意識するのはありだと思う。
しかし、ハードボイルドは決して楽じゃない。

また、仏教は生きるためのテクニックです、という感覚は、ニーチェが仏教を生理学と言っていたことに近い気がした。

感情を切り離す具体的なアクションが参考になった。
色々ある。
本書を読んでね。
自分が意識してやっているのは、皿洗い。
皿洗いは一種の瞑想だと思ってやっている。

しかし、怒りは何も生まないという意見にも飽きたな。
たとえば子どもを思い通りにしようとして怒っているわけではない。
ただの衝動だ。
パンクロックみたいなものだ。
怒りを抑えて生産的に。
くそくらえ。

宗教の胡散臭さ、そこにも救いが得られない人を夏目漱石は描いた。
近代人は救われない状態を生きることになる。
心が楽になんかならないよ。
それにしても、なんで「楽」じゃなくてカタカナ表記で「ラク」なんだろう。
細かいところだが、気になる。

禅僧が教える 心がラクになる生き方

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