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私を無くす試み

思索

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「私」という確固とした存在は無い。
私は関係性のハブ。
私は、諸力の束。
だから、悩む必要は無い。私が存在しないのだから。
問題が起こったら、次の一手を考えて実行するだけである。結果など誰にもわからない。
どんな結果になっても、次の一手へフィードバックすればいい。
結果がわからないから、右往左往する。色んな人にぶつかる。ぶつかれば何かしらそこから発生する。そして、事態が動く。どっちへ動くか予想はつかない。また、右往左往するだけだ。あちらこちら命がけ。無頼派っぽいその姿勢は私が希薄な気がする。そうやって「私という病」から逃れるしかない。

情報の厚み。
情報をどんどん私の中へ流し込む。私は存在しないので記憶は必要無い。記事をEvernoteにクリップしておいて後から読み返すことはある。読み返すことで厚みが増していく。
私は自動機械(バロウズ)である。だから、情報を流し込んでおけば、後は勝手に答えが出る。情報自身に考えさせること、あるいは脳に考えさせること。
ただし、その答えが正しいかどうかはわからない。それは上に書いた、結果が誰にもわからないのと同じこと。

書く機械。
迷ったら、MacBook Airを起動して書こう。迷うというのは私が生じている状態。書くことで、私を外部化する。書くことで私を希薄化することができる。書くことは思考である。思考といっても私が思考するのではなく、自動思考である。自分のブログは自己主張ではない。たとえば、ゆらゆら帝国のロックにも自己主張は無い。たまたま今iTunesから流れてきているのが「アーモンドのチョコレート」というだけ。諸力の爆発という感じがゆらゆら帝国にはある。そんな文章が理想である。
音楽を聴きながら書くのは、ピアノや隣人の音を打ち消すため。他人が立てる音が神経に障るのだ。特に日曜日の午後とか。音が気になるというのも私が残っているからだろう。

アルコールを使う。
飲んで私をとばす。350ml缶程度がちょうどいい。350mlだったら日常的に飲んでも大丈夫だろう。飲むことでも私が希薄化される。ハイボールか、ウォッカベースのチューハイか。後者の方が安い。前頭葉辺りに私がある気がする。そこにアルコールは機能する。
日曜日の午後はやばい。だから、早めに飲み始める。ツマミは要らない。飲みながらMacBook Airを起動する。起動したら、テキストファイルで言葉を書く。私を無くす試みを。