ジブン手帳mini への一元化計画

仕事のこともジブン手帳mini に書いた方がスッキリしそうだ。ふと、そう思った。今まで、なんとなくジブン手帳mini には仕事のことは書きたくない、という思いがあり、仕事のノートは別に用意していた。メインの週間バーチカルのページにも、予定を書き込む程度だった。その方針を転換して、仕事の数字やメモ、思いつきなども、週間バーチカルページや IDEA などにどんどん書いてみようと思ったのだ。
いや、仕事のメモに IDEA を使うのはもったいないし、そこはプライベートと分けておきたい。そこで、ジブン手帳mini に挟める大きさを調べたら A6サイズのノートだったら、横幅が良さそうだとわかった。縦は少し短いが、構わない。今、ジブン手帳mini からは LIFE を外して携帯しているので、IDEA と A6ノートを2冊セットすればいい。そうすれば仕事の打合せも、ジブン手帳mini 1冊持参すればいい。人生の一元化が可能になる。それはスッキリしそうだ。やってみよう。何でも実験だ。うまくいかなければ、どんどん変化させていけばいい。今までも変化してきた。ジブン手帳mini も来年2018年でようやく2年目だ。手帳も様々な遍歴を重ねてきた。浮気もたくさんしてきた。それでいい。LIFE SHIFT、人生100年時代は、変化に慣れることが重要になってくる。話がずれた。
A6ノートは、行きつけの「九州のウォルマート」でキャンパスノートを買えばいい。仕事のメモは A6ノートに書いて、そして、仕事が終わる時にはジブン手帳mini から外して、職場に置いて帰るのもいいだろう。仕事から離れるためだ。関係をうまく続けて行くには、時々、お互いに離れた方がいい。

いや、しばらく考えて、考え直した。ここは仕事のメモも IDEA にしよう。ノート1冊約250円というのは高いが、そこまでではない。純正ノートの方が当然、ジブン手帳mini に収まりもいいのでよりスッキリするんじゃないか。仕事も含めて、自分の人生だから、無理にワークとライフを分離する必要は無い。ただ、ノートを分けておけばいい。どちらも IDEA を使って、その2冊をセットする運用をしてみよう。ちなみに LIFE は外して自宅待機にしている。今年2017年の DIARY が終わったら、それに LIFE をセットしようと思っている。12月だが、まだ2017年の DIARY を使っている。
というわけで、早速、Amazon で IDEA 2冊セットを注文した。変化が楽しみだ。

宗谷名人のブドウ糖、落合陽一のつぶグミ

アニメ『3月のライオン』の影響で、ぶどう糖を買ってみた。100%って書いてある。宗谷名人が対局中のおやつとしてレモンティーにたくさん入れていた。角砂糖ですらなく、素っ気ないブドウ糖というのがキャラとしてのおもしろさだ。

https://www.instagram.com/p/BbfmdsrhvAH/
#3月のライオン アニメを見て、早速ドラッグストアで買ってみた。#ぶどう糖 原材料、ブドウ糖。袋に100%って書いてある。#3月のライオン 宗谷名人の対局中のおやつ

会議の前に1個食べてみた。意外と甘い。ふと個別包装の袋を見ると「夢のくちどけ」と書いてあった。確かに口に入れると自然ととける。効果不明。プラシーボ効果は期待できるか。自分にスイッチを入れる儀式としていいだろう。
昔から、自分は素っ気ない食べ物が好きだった。学生時代は、カロリーメイトと水が主食だった。ブドウ糖100%というシンプルさはすばらしい。
個別包装になっているので、ポケットに入れておくといい。会議の前、屋外に立つ業務の時など、すぐに口に入れることができる。

そういえば、『情熱大陸』で研究者の落合陽一さんが、グミやチョコレートといったお菓子を主食とされていたが、ブドウ糖はおすすめかもしれないと思った。自分は逆に、落合さんおすすめの「つぶグミ」を買って食べている。仕事中食べるのに確かに便利だ。

それぞれが、自分にあった「主食」をみつけなければならない。他人の主食でよいと思ったら、どんどん取り入れたらいい。自分も、落合陽一さんを知らなかったら、グミを主食にしてみようなんて思いつかなかった。

夢のくちどけ ぶどう糖 18粒

夢のくちどけ ぶどう糖 18粒

春日井製菓 つぶグミ 85g×6袋

春日井製菓 つぶグミ 85g×6袋

眼科

長男が視力が落ちたと訴える。学校の視力検査でも B と C というわけで眼科に連れて行った。前回行った眼科は、患者が多く、待ち時間が長く、長男は『デスノート』を読んで苦じゃ無かったようだが、さらに視力矯正なのに、4回も通って、うんざりしたので、病院を変えてみた。駐車場停めやすい。診察までも30ほど待っただけ。患者は多いが、先の眼科ほどではない。
先生も良かった。アレルギー性結膜炎があるようだけど、本人に痒みがあるかどうかを聞いて、痒みが無いとのことなので、じゃあ様子見ましょうと。やたら薬を出さないようだ。
視力は両目(矯正)0.8でギリギリだけど、レンズを変えるかどうかは本人次第だと。長男は、教室の後ろだと黒板が厳しいとのことなので、処方箋を書いてもらうことにした。
いずれも、上から押し付ける感じが無い。医者としてなかなかできない気がした。
次回も、自分がかかる時も、ここにしよう。
長男の診断書も書いてもらった。1回で済むではないか。改めて、学校へ提出する診断書を書いてもらうのに4回もかかった前の眼科医はなんだったのだろう。

夫婦の分断を煽る何か

先日、NHK で「フラリーマン」という、またしても夫婦間の分断を煽る言葉が喧伝されていた。こういった言葉は無視した方がいい。「産後クライシス」などもね。
よくわからないのは、フラリーマンを紹介したら、子育て主婦からたくさんの批判的な意見が寄せられたということだ。問題は、多くのフラリーマンではなく、あなたの夫がフラリーマンかどうかじゃないのか?
とにかく、自分は夫でフラリーマン側なので、意識的に、Twitter で触れなかった。SNS での世代間対立、夫婦間対立、支持政党間対立、安倍政権を巡る対立などに巻き込まれないように注意。フラリーマンもその類いだろう。いったい誰が得する概念なのか?新書が数冊売れるかな。

そして、ドラマ『コウノドリ』からは「うちのインティライミ」というタグが生まれた。これまた夫婦間の分断を煽るタグだ。心底くだらないと思う。このタグを使って、夫への不満を Twitter にさらして未来はあるのか?と思う。中には、夫への愚痴を娯楽として楽しめる妻がいる。しかし、大部分は、愚痴やツイートの気分そのままに帰宅した夫に対してしまい、さらに夫婦関係を悪化させるだろう。「うちのインティライミ」なんかに乗っかるのは百害あって一利無しである。

流行り言葉に注意。安易に使うと、その言葉に思考を乗っ取られるから。

アルコール不要論

Trump Tower

明日は祝日で休み、アルコールを飲みたい、いや、飲まなくていいではないか、と朝残したコーヒーに牛乳を入れてカフェオレっぽくしてレンジで温めた。iPod mini には、evening というプレイリストがある。一日を終わらせるのにふさわしい曲を選んである。そして、『ウォークス』という分厚い本を開く。アルコールは要らない。明日休みなら、夜のカフェインで多少不眠になったって、構わない。残っているコーヒーが無ければ、夕食後、近くのセブンイレブンまでカフェオレなどを買いに行ってもいいよね。散歩、歩くことも兼ねて。
アルコールは、飲み会や、ここぞという時に飲めばいい。あと、不眠の深夜に緊張感を高めて詩を書くために。
ただ、パートナーが飲んでいるのを見ると、自分も飲みたくなるよね。その時間をやり過ごすこと。

トランプ大統領は、アルコール依存症で苦しみ、若くして亡くなった兄の教えに従い酒をまったく飲まないらしい。その辺り、反トランプが描くようなイメージと違う。その記事は切り抜いた。自分などは、そんなにトランプが悪い大統領とは思えない。演説はうまく、人格者なのだろうが、たとえば北朝鮮政策では無能だったオバマよりよほどましではないか。ストイックなオバマだから、飲み過ぎるということはなかっただろうが。「戦略的忍耐」とは何だったのだろう。まあ、いい。アルコールについては、トランプのことも考えると、飲まないなら飲まない方がいいと最近、考えている。

喘息もある。先日は、ハイボールを飲んだ直後に尿管結石の激痛に襲われた。それで、アルコールが怖い、というのもある。それを活かして禁酒の実験をやってみよう。LIFE SHIFT、人生100年時代、色んな実験をしないと変化に対応できない。

『ウォークス 歩くことの精神史』を読んだよ

レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』を読んだ。
全体的な印象として、期待より文学的だった。抽象的でわかりにくかったり、著者の経験だったり。もっと有用性のあるもの、使えるものを期待していた面はあった。『GO WILD』とかをイメージしていた。

あまりにもたくさんの人や事例を扱いすぎて、とっちらかっている印象。「歩く」というキーワードで色んなものを集めました。読書メモを見ても、たくさんメモしたが、そこからさて、どうすればいいのやら。しかし、読みながら、色々と自分なりに歩くことについて考えたことは確かだ。触発する本ではある。

たとえば、ちょうどデンマークという国に興味を持続的に持っていたので、キルケゴールコペンハーゲンは気になった。自分なりに調べてみようと思う。そうやって読者なりに広げていけばいい。

ふと、読書と歩くことは似ていると思った。時間の流れに沿って、線的な運動ではある。あちこちさまっよっても、それは一本の線であることには違いない。

日本に目を向けると、明治維新の志士たちは、めちゃくちゃたくさん歩いた人たちではないかと思った。「歩くことの日本史」というアイデアは誰か書いているだろうか。
文学では、夏目漱石草枕』の語り手である画工は歩いて旅をしていた。『三四郎』の登場人物たちもよく歩く。松尾芭蕉などは、本書にも出てきた。
自分を省みても、学生時代、さほど広くないキャンパスをよく歩いた。友人と『外科室』ごっこをやったりしていた。この『外科室』は泉鏡花の原作より、坂東玉三郎の退屈な映画の方。その友人は、自分以上によく歩く人だった。

たとえば、現代のポケモンGO などは、この著者にはどのように解釈されるだろうか。

ゴルフも歩く。安倍首相とトランプ大統領がうまくいっているのも、ゴルフという歩みを共有できたからではないだろうか。歩きながら話すのは、両者の関係を深くするのかもしれない。

次の一文は印象的だった。

憂鬱と疎外感と内省は、少量であれば人生のもっとも精妙な愉楽となりうる。p310

ボードレールを思い起こさせる。しかし、ボードレールへの言及は無かった気がする。ベンヤミンへの言及はあった。

最終的には、読後、自分はやはり歩こうと思った。仕事でも家庭でも、とにかく歩くことを意識してみる。健康のため、などではなく、歩くことそのものを目的としてみる。そこに自ずと思索が付属してくるイメージだ。健康も後から付いてくる程度の期待で。歩くことには、メリットしかない気がする。

ウォークス 歩くことの精神史

ウォークス 歩くことの精神史

ジブン手帳mini を財布として使う案

自分が使っている財布は小さい。abrAsus の「小さい財布」を使っている。コンパクトさは素晴らしく、いつもズボンの前ポケットに入れている。お札が三つ折りになってしまうのが、欠点とも言えない欠点だ。レジで出す時に変な形になる。受け取った店員さんも扱いに困る時がある。42歳という年齢も考慮すると長財布を持つべきだろうか。しかし、この長財布というのは、いったいどこに入れるのか?ジャケット、上着が必須となるよね。その内ポケット。あるいはカバンを常に持つ?


たとえばジブン手帳mini はどうだろうか?カバーの内側にお札を入れるのにちょうどいい大きさだ。お札が折れ曲がらない。長財布としては大きいのでさすがにジャケットの内ポケットには入らない。カバンに入れて持ち歩く。実際、ジブン手帳mini は基本的に持ち歩くし、仕事中はデスクの上にあるので、お昼に食堂へ行くなら、手持ちで行けばいいかも。
探せば財布になるようなジブン手帳mini のカバーがあるかもしれない。ジブン手帳mini は通帳などを挟むにもちょうどいい大きさだ。ちょっと大きな財布として機能するかもしれない。
メインの財布として使わないまでも、千円札数枚を挟んでおくと、何かの時に役立ちそうだ。たしか「超」整理手帳野口悠紀雄さんが、手帳に1万円札を挟んでいた気がする。