「年配男性」という問題

散弾銃で立てこもった男性が医師を殺害した事件、記憶に新しいクリニックの放火殺人事件。
そして、読み始めた伊藤伸さんの『あなたも当たるかもしれない、「くじ引き民主主義」の時代へ』を読んでいて、すべての問題は「年配男性」にあるのではないかと思い始めた。

日本のすべての「年配男性」を丸っと月へ送ったら、色んな問題が解決するのではないか。
その時に、線引きを何歳にするのか?
自分はもう47歳で「楽園送り」になる可能性が高そうだ。
悲しいよね。
そんな妄想が楽しい。

伊藤伸さんも書いているように年配男性は話が長い。

比べて、私も含めたいわゆる「おとな世代」は、知識も経験も若い世代より多くある一方で、自分の知っている知識を全部伝えようとしたり、色々なことに配慮しながら発言したりする結果、話が回りくどくなり何を伝えたいのかわからなくなることが多い。NO.200

ここ笑った。
その会議の場に、若者が入ると、年配男性にも影響を与えるとのこと。
ポイントは「年配男性」をいかに薄めるか、という点にありそうだ。
自分も「楽園送り」にならないように、しゃべることを控えて、短い言葉をシンプルに使い、「年配男性」要素を薄めていかないといけない。
それが生き残るコツだと思った。

以下、Facebookへ投稿したもののコピペ。

散弾銃立てこもり殺人事件と先日のクリニック放火事件について考え、さらに伊藤伸さんの「自分ごと化会議」についての本を読んでいると、「年配男性」という問題が浮かび上がってきた。
自分の中で「年配男性」という問題を設定して色々と考えてみる。
たとえば、今の日本社からからすべての「年配男性」を月へ送っても、おそらく何も困らない。それどころか、色んな問題が解決するのではないかと妄想する。
その場合、47歳の自分が「年配男性」に含まれるかどうかが重要なポイントとなる。
おっさんは、しゃべりすぎると伊藤伸さんは書いている。そこに若者が入ると、おっさんも変化するとのこと。
また、冒頭の事件を起こしたおっさんは、いずれも社会性ゼロで、しゃべらなかったおっさんだ。
つまり、おっさん「年配男性」は、常にしゃべりすぎるか、しゃべらなさすぎるかのいずれかなのだ。
みんな家族のおっさん、夫や父親、その他を想像すれば納得できるのではないか。

重要なのは、構想日本が「自分ごと化会議」で試みているように、たとえばくじ引きによって会議における若者と女性の比率を高めること。
すでに「年配男性」と認定された自分などはどうすればいいのか、というと自分の中のおっさん要素を薄めるべく努力し、仕事や家庭においては、しゃべりすぎないようにしないといけない。
いずれにせよ「年配男性」はそのままだと「楽園送り」になっても仕方ないのである。
心して後半生を生きるべきなのだ。

コピペここまで。
「年配男性」という問題設定によって、色々と考えることができる。
まずは自分がどうするか、というNextActionだ。
仕事においても、家族に対しても、自分はどちらかというと、しゃべりすぎないように気をつけないといけない。
他人の話を聞くこと。
言葉を率直にシンプルにして、相手に考えてもらうこと。

話は変わるが、構想日本の最終目標はもしかすると国会議員をくじ引きで選ぶことではないかと思った。
同じように「くじ引き民主主義」という発想があった柄谷行人のNAMが、なぜ盛大に失敗したのか、という分析もおもしろそうだ。
今日、ずっと「年配男性」という問題を考えていたので、NAMの失敗はトップダウン型の「年配男性」という問題だったのではないか、という気もしている。
NAMのメンバーっておっさん中心だったっぽい。
その辺り検証できるかな。
若者はいたかな?
女性は少なそうだったな。
でも、今更NAMについて色々調べるのもめんどくさいな。
他力本願。
自分たちで総括ってしたんだっけ?
ちょっと調べたら下記のような本があった↓
dokushojin.com