明治の表象空間を読み始めて

図書館で松浦寿輝『明治の表象空間』を借りてきた。
幸田露伴について書かれているので読みたくなったのだ。
それにしても分厚い。
幸田露伴は555頁からだ、その554頁までは何が書いてあるのだろう。
確か松浦さんは東京大学の教授だったかと思うが、よくこんなに長い本を書けるな。
たぶんTwitterしていないと思われる。
Twitterしていると長い文章は書けなくなる。
あ、田中泰延さんがいた。
しかし、田中さんの文章の長さは、松浦寿輝の本の分厚さとはちょっと違う気がした。
何が違うのだろうか。
調べるのが9割、というのは両者一致する意見ではないだろうか。
時に、こう新型コロナウイルスが流行する兆しがあれば、不要不急の外出は控えて家にひきこもったらいい。
そうすれば長い文章が書けるよね。

さて最初に言及されるのは、露伴風流仏」である。
松浦は「恋愛の主題をめぐる奇妙に抽象的な作文」と書いている。
ここで最近買った登尾豊『幸田露伴論考』を開いてみる。
これは露伴研究者による論考を集めた本である。
こちらも十分厚いが『明治の表象空間』ほどではない。
登尾もずばり「「風流仏」論」を書いて、本書におさめられている。
両者を読み比べてみるとおもしろいのではないか。
両著者のポジションが違うだろうから、それによって同じ作品がどのように読まれるのか、おもしろそうだ。
ちなみに私はまだ「風流仏」を読んでいないのだった。
まず、作品それ自体を読むべきだね。
その前に「「風流仏」論」を少し読み始めて、露伴文学の真の理解、再評価には「西洋に追随した〈近代〉の傍らに〈もう一つの近代〉(猪野謙二)を見る眼が必要である」という文章で引っかかった。
私が思い出したのは『甲鉄城のカバネリ』というアニメだ。
この世界は、確か関ヶ原の戦い石田三成の西軍が勝った日本という設定ではなかったか。
それは〈もう一つの近代〉という可能性を想像してみることと接続したのだ。
今のところ、松浦と登尾の論は接続していない。

風流仏」をKindleストアで検索すると、あった。
青空文庫でゼロ円。
ゼロがいい、ゼロになろう。
ところで青空文庫にはお世話になっているので、寄付しようかと思っている。
手軽な寄付の仕組みがあるかな。
それは調べないといけない。

早速、「風流仏」を読み始めたが、まあ難しい。
一文が長い。
漢文調である。
この文体で今話題の『鬼滅の刃』をノベライズしたらぴったりではないか。
実際、『鬼滅の刃』を読んではいない。
たった今、8巻を読んだ。
いきなりメインを読んだ感じだ。
このように脱線するので『明治の表象空間』は遅々として進まない。
さて、戻ろう。

あ、しまった勘違いだ。
風流仏」ではなく「風流悟」だった。
これは「ふうりゅうご」でいいのか?
恋愛の主題をめぐる作文は「風流悟」だった。
見間違えたので、上に書いたことはすべて破棄される。
なーんだ。
早速、Kindleストアで検索したが「風流悟」は青空文庫に無さそうだった。
さて、どうするかな。
検索したら、「風流悟」は「ふうりゅうざとり」だった。
図書館で探してみるか。
「恋愛の主題をめぐる奇妙に抽象的な作文」というのに、興味を持ったからだ。
ちなみに松浦は、北村透谷「我牢獄」に言及しているため、「風流悟」の後はその透谷の作品も読んでみたい。
しかし、実はそれほど切実に読みたいと思っているわけではないので、本当に読むかどうかは「風流悟」が身近にある図書館で簡単に手に入るかどうか、また「風流悟」自体に私が惹かれるかどうかにかかっている。さらに言えば、松浦にしろ登尾にしろ、他の評論への言及もあるので、それらをすべて押さえ始めると、めちゃくちゃ時間と手間がかかる。
研究とはそういったものであり、それでインプットに見合った成果=アウトカム(財務省が言うには単なるアウトプットではなく)が出るかどうかわからないまま手探りで進めるものだと感じた。
フルタイムのサラリーマンをしながら、在野でやるのはなかなかに厳しい。
どうしても中途半端な試みにならざるを得ないが、こうやって1,500字を超える文章にはなるものだ。

明治の表象空間

明治の表象空間

  • 作者:松浦 寿輝
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/05/30
  • メディア: 単行本