苫野一徳『はじめての哲学的思考』を読んだよ

苫野一徳さんの『初めての哲学的思考』を読んだ。
哲学とは何か。
わかりやすい言葉で書かれている。
「哲学は、僕たちの人生に、ある独特の仕方でとても役に立ってくれる」とまず書かれている。
哲学の機能は、イノベーションをもたらすことはない。
誰かの命を直接的に救うわけでもない。
それでも「ある独特の仕方」で機能するのだ。
それは決して財務省の官僚が予算を付けることのない機能でもある。

物事の「本質」をとらえる営みとも書かれている。
「意味や価値の本質」を哲学は問う。
その絶対の答えはない。
それでも、お互いの間で「共通了解」可能な答えを見いだそうと徹底的に考えるところに哲学はある。

一方で、「一般化のワナ」や「問い方のマジック」に注意するべきだ。
有識者会議でも、自分の経験を過度に一般化する有識者が多いと指摘されている。
それはよくわかる。
特に成功した経済人に多い。
自分が単に運良く成功しただけなのに、それでは困るから、一般化したがるのだ。
それは哲学的なごまかしと言っていい。
「問い方のマジック」は、サンデル的な二項対立的な問いが代表的だ。
前々から、自分はサンデルの代表的な線路切り替え問題に気持ち悪さを感じていたが、その理由がわかった。
そもそも問いがおかしいのだ。
二項対立問題が提示された時には、第三の道が本当に無いか、考えないといけない。

そんな中で本書で最も目が開いたのが「欲望相関性の原理」だった。
僕たちは、みんな自分の「欲望」に沿って世界を見ている、ということだ。
「僕たちの信念は実は欲望の別名」ということなのだ。
よって、たとえば誰かの意見に疑問を感じた時は、その言葉のみならず、その背後に原理的に存在しているその人の「欲望」を見ることがその人を理解する一歩になる。
それは、佐藤優さんがよく言う「内在的論理」に接続した。
佐藤さんは、交渉の時には相手の「内在的論理」を理解することが重要だと言う。
同様に、哲学においては相手の「欲望」を理解することで、対立する思考をすりあわせて共通理解可能なとりあえずの答えを見いだすことができる。
そうした考え方は、自分にすっと入ってきた。
竹田青嗣さんの『欲望論』を読んでみたいと思った。
また、自分自身においても、自分の「欲望」を知ることで、自分と折り合うことができるとも書かれている。
それもまた、納得できる考えだった。

ただ、「本質観取をやってみよう」というところで、恋とは何か、という実際の実例を紹介してある章だけは、ぬるさを感じた。
それは、しかし、「恋」が今の自分にとって問題ではないからだろうと思った。

本書を読むことで、欲望≒内在的論理という視点から他人を見ることができるようになったのは、一歩前進だ。

はじめての哲学的思考 (ちくまプリマー新書)

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