自分のブログとFacebookは非意味的切断をしよう

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photo by boltron-

ブログ「シリアルポップな日々」のリンクを自分のFacebookに貼るのは止めようと思いました。ただ、すでに貼ったリンクまで削除する必要は無いかな。

なぜか。それはFacebookのリアルな人間関係とブログやTwitterの自分の人格とは少し環世界が違うから。Twitterなどでは自分はかなり率直で、たとえばセックスやエロのこともフラットに書きます。しかし、現実の人間関係においては、そんなに率直フラットに語ることはありません。よってそこは接続しない方がいいかと。もちろん読む側がFacebookTwitterも知っていて、両方読めば勝手に接続するでしょうが、それは気にならないのです。よって「切断」。タイトルに「非意味的切断」とドゥルーズの概念を使ったのは、ただ使いたかっただけです。

リアルな人間関係においては、面と向かってセックスの話をしたりはしません。してもいいと思っていますが、向こうの心の準備はできていないかもしれません。だから、自分からすることはありません。よってFacebookに積極的に開示することもありません。でも、読もうと思えば、僕がセックスについてどんなことを考えているかブログで読むことができます。こういうことをフラットに語る中年男性というのは少ないと思います。

Facebookの更新はそれほど多くありません。なぜでしょうね。
佐々木俊尚さんの本を読んでいて、リアルなゆるい繋がりとしてFacebookをもっと大事にしたいとは思った。
リア充臭を除いて投稿するにはどんなネタがいいんでしょうね。Facebookにふさわしい投稿内容ってちょっと思いつかない。短い思いつきならTwitter、長くなるならブログ、そこにFacebookがなかなか入ってこない。
自分の親などは、子どもの様子をアップしたら見ることができるよね。孫の日常を見たいと祖父母は思うでしょう。しかし、日常的に子育てしていると意外と子どもの画像とか撮影しない。毎日が戦いで余裕が無いのもあります。

Facebookは表の顔、ブログやTwitterは裏の顔。しかし、私はどちらも公開しています。オープンであること、率直であることが戦略。仕事でも率直にやっています。自分をオープンにすることで、人間関係のゲームが不必要に複雑にならないと考えています。

FacebookTwitterもブログも彼女(妻)は知っています。読もうと思えば読めます。実際に読んでいるかどうかはよくわかりません。それくらいの感覚がいいと思います。読まれても困らない。彼女が読むことを意識して書く場合もあります。この段落がまさしくそうです。彼女に対してもオープンを心掛けています。akizukid.hatenablog.com

しかし、率直に書くと読む人に心配されることがあります。たとえば不眠。私は自分の不眠のことをよく書いています。読む人は心配するかもしれません。しかし、私は心配してもらおうと思って書いているのではなく、単に書いています。不眠が一番、ナウでリアルだから書くわけです。それ自体はネガティブでもポジティブでもない。フラットに書いているつもりなのです。でも、読む側には心配をかけることがある。それに気付いてからは気を遣っています。

とはいえ、何かを表現してオープンにする以上、読む側の解釈を完全にコントロールすることはできません。誤解=誤読は仕方ない。そして、それは厳密には誤読ではないんですよね。読む自由がある。著者の意図なんて、一つの要素でしかありません。誤解されたくないのであれば、最終的には表現を止めるしかないでしょう。
しかし、私は色々考えながらもブログを続けます。TwitterFacebookも続けています。ネットで表現することが自分に合っているからですね。

このブログやTwitterFacebookを読んで、私のイメージが変わったという人がいるかもしれません。それだけが私ではありません。しかし、本当の私があるわけでもなく、誰かが私に対して抱くイメージを否定する必要もないでしょう。それもまた私の一つ。

とりあえずこの辺で投稿しましょう。また、考えると思います。

自分でつくるセーフティネット~生存戦略としてのIT入門~

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