休日の社会的コミットメントを減らしたい

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コミットメントというのは、私が長く考えている言葉です。

たとえば最近、上の子ども二人はボーイスカウトに参加しています。子どもたちのためになるかという判断。長男は小学4年生ですが、部活動に参加していません。参加を積極的に進めた妻は、それを心配してのこともあると思います。学校と自宅だけでは不十分ではと考えているようです。

私自身は小学校で野球部、中学、高校で軟式庭球部と深く考えずに体育会系部活動を続けてきました。その経験は大きかったと思います。しかし、正直、無駄も大きかったと感じています。だから、よくわかりません。もし人生をやり直すとしたら、もっと部活動を休めばよかったと思っています。毎日、ある意味惰性で部活動をしていた。他に何かできたんじゃないか?
もちろん毎日やったからこそ、中学の軟式庭球では結果を出すことができたわけです。しかし、一方毎日続けても、小学校の軟式野球は結果が出なかった。高校の軟式庭球は中学時代の遺産でそこそこの成果しか出なかった。小学、高校に関しては何か他のことをやった方が成果を出す面でもよかったんじゃないかと今では思います。

コミットメントに戻します。
たとえば私はサラリーマンとして平日はフルタイムで社会的活動にコミットしています。よくボランティア活動などとサラリーマン活動を区別する人がいるかと思います。しかし、私は給与をもらっているかどうかの違いだけで、サラリーマンの仕事もまっとうな社会的活動だと思います。
社会的活動にコミットするのは疲れます。基本的に私は内向的人間だからという面もあります。だから、休日は社会的コミットメントから離れていたいのです。よって、子どものボーイスカウト活動からもある程度距離を置きたい。

部活動にしろ、ボーイスカウトにしろ、問題点は子ども自身の参加だけでは済まないことが多いところです。親の参加、コミットメントを求められることがあります。好きな人は積極的に参加すればいいでしょう。小学校では「親父の会」みたいな活動もあります。好きな人は参加してください。でも、私は参加しない。で、なぜ参加しないことに罪悪感を持つんだろうか?

罪悪感の正体は、フリーライダーの問題かなと。部活動にしろ、ボーイスカウトにしろ、親父の会にしろ好きで積極的に参加している人たちの活動があり、そこに時々、乗っかることがあります。その時に、自分は対してコミットせず、貢献していないのに、その成果だけ享受しているという罪悪感です。フリーライダーの問題と言えそうです。

コミットメントに段階があればいいのにと思います。100%参加するか、0%参加の二者択一ではなくて、50%参加とか、段階的に参加するという有り方があればいいのに。気楽なコミットメントです。シリアルポップなコミットメントという在り方を自分は考えています。

これがPTA活動となると、ほぼ100%の人が積極的コミットメントではなく、消極的コミットメントになっている問題があります。そういう場合は、本当は一度組織、活動を潰して更地にしてしまえばいいと思うのですが、そうもいきません。
たとえば下記↓のサイボウズの記事などは、PTAに積極的にコミットしてみたら意外と楽しいものだったよ、という誘いのように読むことができます。

PTAで「もしドラ」を実践──全てをボランティア制にし父親も参加しやすい活動へ | サイボウズ式
PTAは、シリアルポップなコミットは難しい活動ですよね。

今の内から地域にコミットメントしておかないと退職してからは入ることができないよ、みたいな脅しも聞きます。しかし、今は仕事に100%コミットすればいいのではないかと考えています。いや、三角形ですね。family,work,writingの三角形。これは自分がファミリーマネジメントジャーナルfmjに参加するにあたって考えた三角形です。
現時点では、コミットメントはその3つでいっぱいっぱいです。勘弁して下さい。

過去記事


シリアル・ポップなコミットメントについて - シリアルポップな日々:serialpop days