ずっと考えていたことです。何で些細なことほど気になり続けるのか。たとえば子どもが痙攣を起こした、といった緊急時にはスイッチが入ったように動くことができるし、その時は夢中であっという間に過ぎる。でも、子どもの水いぼが何ヶ月もそのまま、みたいな些細なことがずっと気になる。
ライフハッカーの記事でその理由がわかりました。
些細なイライラがいつまでも尾を引く理由 | ライフハッカー[日本版]
要するに些細なショックでは、脳の回復機能が発動しないらしいです。大したことねーよ、と脳が働いてくれないわけです。「ベータ領域のパラドクス」という言葉をクリップしました。さて、それがわかったところで、じゃあどうしようというわけです。
些細なことと言えば、隣人のテレビの音も、小さな音でも聞こえてくれば気になります。小さいことがかえって気になるような気がします。
長男の将棋教室への道が今までにないくらい激しく渋滞していて苛々が最高潮に達する。こういうメンタリティでの運転は危ない。買い物は保留にして、真っ直ぐ帰宅した。帰宅するまでに痒くて頭をかきむしった。車内で叫んだ。些細なことが気になるよね、本当に。
髪を洗った。ドライヤーで乾かした。しばらくソファに座って、テレビで映画『妖怪人間ベム』を眺めた。そして、セブンイレブンまで車で買い物に出た。妻のリクエストでチリワインを買った。明日の朝食用の食パンも買った。食べたいモノで散財した。痩せている私は少しくらい食べ物でストレス解消していいだろうて。チーズピザまん、ちゃんとチーズが入っていて美味だった。
翌日は、家族で凧揚げに出掛けて5分で撤収した。和凧はすぐに糸が切れた。洋凧は横棒を紛失していた。子どもは凧揚げしたいと騒ぐ。父親の確認不足。愕然とする。黙って家に戻る。横棒を探す。見つからない。和凧は自分なりに修理してみる。揚がるかどうかは不明、、、切れた。
近所のドラッグストアに買い物に出かけた。お風呂の防カビ銀イオンその他、ハイボールと切れてるカマンベールチーズを買う。家に帰って飲もうと思う。それくらいしかない。人は大した理由が無くても死ぬことができるとわかった。Twitterに連投して気を紛らす。
帰宅すると隣人の子どもが遊びに来ていた。妻は韓国ドラマを見ている。自分の居場所が無かった。あてのないドライブに出かけた。そんなことしたことない。車はフリード。フリードだとドライブもそんなに楽しくない。コペンだったら楽しいだろうか。いや、自分次第のような気もする。自分が本当にコペンが欲しいかどうか不明。
道を左右に曲がるという選択をしたくなかったので走りやすいバイパスをひたすら道なりに走った。ぐるっと回って途中で通過した地方のショッピングセンターに突き当たった。駐車場にフリードを停めた。マクドナルドが併設されているのが悲しい。郊外感いや増す。自分もこの辺りに行き詰まり感。
些細なことが気になる。心をすり減らす。それがよくわかります。今のところ色々試しながら魔の時間をやり過ごすしかないと考えています。こうやってブログにするのも一つの方法ですね。