國分功一郎『暇と退屈の倫理学』を読んだよ(1)

久しぶりに哲学書にグッときて熱中して読みました。わかりやすく書かれています。
たとえば東浩紀さんの本は自分にははてな?だった。國分功一郎さんのこの本が自分が漠然と考えていたことをしっかり書かれていると感じました。プロフィールを見たら1974年生まれで完全な同世代です。技癢を感じます。
それでも今は、私の問題は「暇と退屈」に近いけれど、「憂鬱」かもしれないと感じています。つまり、國分さんとは少し違います。そういうものかもしれません。各自固有の問題を見出すのが哲学というものかも。

レバレッジメモ〜まえがき、序章、第一章

人類は豊かさを目指してきたのになぜ喜べないのか?

現代人は自分が何をしたいのか自分で意識することができなくなっている。広告やセールスマンの言葉によって組み立てられてはじめて自分の欲望がはっきりする。
ジョン・ケネス・ガルブレイス→供給が需要に先行している。

資本主義の全面展開→少なくとも先進国の人々は裕福になった→暇を得た→暇の使い方がわからない。何が楽しいのか分からない。
労働者の暇が搾取されている。
暇のなかでいかに生きるか、退屈とどう向き合うべきか。
これってスチャダラパーが「ヒマの過ごし方」で歌ってることですよね?

ウィリアム・モリス
革命が起こってしまったらその後どうしよう?
革命が到来すれば、私たちは自由と暇を得る。そのときに大切なのは、その生活をどうやって飾るかだ、と。

  • アーツ・アンド・クラフツ運動

生活に根ざした芸術品、日常的に用いる品々に芸術的な価値を担わせる。
これは、ナガオカケンメイさんの仕事を思い出させます。
ちょっと調べたら、私がこだわる夏目漱石草枕』にもつながるラファエル前派ともモリスは関係するんですね。奥さんのジェーン・モリスは、ロセッティの有名な絵のモデルだったりして。
(BGMグレン・グールド演奏バッハ「ゴールドベルク変奏曲」)

アレンカ・ジュパンチッチ
たとえば大義のために死ぬことを望む過激派や狂信者たちを恐ろしくもうらやましいと思うようになっている。
『SP』の尾方のような、、、
うらやましいと思うのは、暇と退屈に悩まされている人間ではないか。

パスカルの以下の言葉は、昔から自分の頭にも残っている。

 人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。部屋でじっとしていればいいのに、そうできない。そのためにわざわざ自分で不幸を招いている。

わざわざ社交に出かけてストレスをため、パチンコで金を失う。<欲望の対象>と<欲望の原因>を取り違えてしまう。
気晴らしが熱中できるものであるためには、お金を失う危険などといった負の要素がなければならない。リスクが無いと気晴らしにならないということか。

バートランド・ラッセル
日常的な不幸には、飢餓や貧困や戦争といった大きな非日常的不幸とは異なる独特の耐え難さがある。原因がわからないということ。なんとなく不幸。逃れようにも逃れられない。
芥川龍之介の漠然とした不安のような?
「事件」=今日を昨日から区別してくれるもの
(BGMとして小沢健二「昨日と今日」)
人はなぜ毎日同じことが繰り返されることに耐えられないのだろう?
退屈の反対は快楽ではなく、興奮である。興奮できればいいのであるから、楽しくない事件、不幸であっても構わない。たとえば台風が近づくと妙にテンションがあがる人が大人でもいる。
ラッセルの結論=熱意。「やむにやまれぬ心」(八重の桜)?

不幸に憧れてはならない。したがって、不幸への憧れを作り出す幸福論はまちがっている。

スヴェンセンの立場は明確。退屈が人々の悩み事となったのはロマン主義のせいだ。
確かにこれはよくわかる。
ロマン主義は、人生の充実を求める。人生の意味が必要となる。生の意味が個人的になった。個性的であることが善とされる。それはナンバーワンだろうが、オンリーワンだろうが同じ穴のむじなであろう。
私に言わせるとロマン主義も高校を卒業したら合わせて卒業すべき思考パターンだと思います。大学生での安っぽいロマン主義的な言動ほど恥ずかしいものは無かったですよね(自戒もこめて)。

しかし、さしあたっては、日曜日の夕方の憂鬱をどうにかしたいところです。
日曜日夕方のネガティブ・スパイラル - シリアルポップな日々
そこからブルーマンデーの朝、サラリーマンとして職場に到着するまでをなんとか生き延びる必要があります。國分さんは、サラリーマンの経験が無いのかもしれませんね。だから、そういう退屈の苦しみに対する処方箋のヒントになるようなことは書かれていません。ここは、子育てサラリーマンブロガーとして自分で考える必要があるのでしょう。
NHK大河ドラマ八重の桜』も初めは、幕末の「やむにやまれぬ心」を感じて心の底を支えてもらっていましたが、ここ最近、会津藩の悲劇に向けてフラグがたくさん立つので気分を先取りして落ち込んでしまいそうになります*1
(BGMニューオーダーブルーマンデー」)
とりあえず月曜日の朝は、自分の体を職場に運ぶことをMIT(Most Important Task)として設定し、そのタスクのみに集中するようにしています。

ここまでで第一章ですが、とりあえずブログに投稿することにしましょう。
BGMを挿入したのも、気晴らしの一つです。通勤時にウォークマン*2で音楽を体に流し込むのも、退屈なサラリーマンの一日をなんとかやり過ごすアート=技術の一つかもしれません。

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』を読んだよ(2) - シリアルポップな日々

暇と退屈の倫理学

暇と退屈の倫理学

*1:綾瀬はるかさんに計三回ほど「秋月様」と言っていただいたのは救いです。

*2:iPodではない!